「甲子園へ行こう!」17、18巻

講談社 ヤンマガKC

三田紀房



 この漫画の好きなところのひとつに、試合を見守る補欠たちのリアクションがある。ひとつアウトを取って「よっしゃー」とか、ひとりランナー許して「うわー」とか、観戦するものの表情のどれにも身に覚えがあって、読者のはずの私まで作中の観戦者のような気分にさせられるのが楽しい。で、本作の最大の山場である甲子園出場を賭けた県大会決勝戦・鎌倉西対横浜第一の盛り上がり方や試合展開の非情さが尋常ではなく、普通ならどうせ主人公のチーム・鎌倉西が勝っちまうんだろう、という冷めた感情に支配されて観戦気分を早々に捨ててしまう他の野球漫画とは違って、最後までどちらが勝つのかわからない状況(作品そのものが連載の短縮化・打ち切りかと思われる急ぎ足の展開があったからだけど)があり、本物の試合を観ているような緊迫感に気分はやがて昂揚していったのだ。
 投球フォームの理論的な解説に見られるような野球描写がこの作品の土台を支えているのは言うまでもないことだが、野球漫画にありがちなネット裏の解説に頼らず、何故これが良いのかということを丁寧に説明していくことで、読者を解説側に導くことに成功している(もちろん解説役の登場人物はいるけど)。特殊な変化球でも高校生離れした剛速球でもなく、外角低めの直球が決め球になり得る説得力とそこに投げ込む技術を活写した本作が野球漫画として果たした役割は大きい。
 なにぶんにも地味な絵と固い描写、そして女性の顔の(省略)がために、初見の第一印象は決して気持ちの良いものではなかったが、試合の見せ方・野球の見せ方を心得ているだけに、読み進めるとすぐに試合展開に夢中にさせる力も感じた。ぎこちないような描写も、作者が築いた独特の間によって緊張感を保っている。
 1回の表、無死満塁の危機を迎えるも四番の三遊間へのライナーを飛びついて空中キャッチした宅見、4頁にわたって描かれる大ファインプレーの場面がその特徴を踏まえている。大ゴマは大ゴマなんだけど、見開きを数コマに分けて見せている、しかも横長に。で、台詞も擬音もなく、選手の動きのみを描くことで雑音のない本物の野球の場面が生まれてくる。この場合の本物っていうのは、観ている側にとっての本物ってことね。いや、本当にとてつもないプレーに立ち会った瞬間って音が消し飛んでいるものなのだ。野球に限った話ではないけど。選手の動きだけが蘇ってくる感じ。その感覚はスポーツ物のドキュメンタリーでよく使われる演出で、昨年(2004年)だったら、イチローが年間最多安打達成した瞬間のVTRをスローモーションで音消して流し、記録が明らかになってどっと沸いてくる大歓声、という感じが想像しやすいかな。本作もそんな感じの演出を施して盛り上げている。この宅見のプレーの後にワァァ歓声はお約束なんだけど、横長のコマが一頁に広がって解放感を伴い気持ちが良いんだ。たかがフィクションだろっていう冷めた思いも隅っこに残ってはいるんだけど、ちょっと話をそらすと、野球漫画によくある大逆転劇をそうやって簡単に打っちゃれない点が、実際に奇跡的な大逆転ゲームや信じられないようなファインプレーをいくつも目の当たりにしているからなんだよ。
 ただ、改めて読むと、やはり試合展開を圧縮しているだけに、台詞過多なところが目に付かないわけではない。もったいないけど、それでもきっちり見せてくれるとこは見せてくれるのだから、作者の技量は侮れないものがある。6回表の好守も小さいけど静寂の中での好捕と補殺を描き、直後に歓声あるいは主審の「アウウッ」という気合の入った声で盛り上がるのもわかるし、四之宮の喜びにならないうめき声も実感があるし、そして、一番の上手さが8回表、ついに失点となる本塁打の場面である。
 1回の守りで守備に自信を付けたナインだけど、これが大きな伏線だったわけなのだ。まあ、この描写の時点で、失点するなら本塁打だろうなっていう予感が読者側には生まれてくるんだけど、鉄壁守備を誇ってもどうしようもない打球がバックスクリーンに飛び込んでいく描写に、冷酷といってもいいような容赦のない美しさがある。ボールを追ってゆっくりと走るセンターの姿は最初はっきりしないんだけど、だんだん明瞭になってきて、正確に描かれる球場の広告の数々が、これまた熱情を冷ややかに見詰める誰のものでもない視線を醸しだして、なんとも言えない無力感が襲ってくる。これって多分打たれた四之宮の視線なんだろう。自信を持って投げた外角低めの直球が、あそこまで持っていかれる、そして9回まで無失点で行けそうな感覚をあっさりと砕いてしまう。肩を落とす四之宮のアップが来るも、ここには今までの大きな音が描かれない、でもここで確かに私は大歓声を聞いたのだ。球場が揺すられるような音が足元から立ち上ってくる、これは四之宮最後の打席でも用いられていて、こっちは「ああ・・・」という独白が入るけど、非情な展開を物語の最後の最後に持ってくるのは、作者自身の高校野球感というものが反映されているんだろう。実際、公立高校の戦いぶりには哀切が漂うことがあり、私立の野球名門高校と対戦した時にあらわれやすい。それまで接戦を勝ち抜けて強さを訴えていた公立高校が、名門に惨敗してしまうという図である。しかも容赦なく叩き潰される。今までの勝利は一体何なんだといういうような虚しささえある。だからだろう、負けたと言えども、私は彼ら鎌西ナインにフィクションの網を外して真に感動してしまったのである。負け方の描き方の手本というものを見せられた気分だ。
 全てのチームが通る敗北の道を描くことで、高校野球の本質に迫った本作に心からの拍手を送りたい。

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