「琉伽といた夏」
集英社 ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ 全4巻
外薗昌也
全巻SFにまみれた作品である。巻末の作者は自身のSF狂を存分に語り、SF万歳と叫んでいるような作品である。主人公・貴士の妹である弥衣に雷鳴とともに憑依した未来から来た戦士・琉伽は、現代へ逃亡した時間旅行者を貴士とともに追い詰めようとするが、その過程で明らかになる未来の世界像は貴士の想像を凌駕していた……という時を隔てた戦闘と、妹でありながら妹でない琉伽という存在に次第に惹かれていく貴士の苦悩を織り交ぜた兄妹物という二面性を備えた内容で、ジュブナイルSF・NHKの教育テレビでドラマ化されてもおかしくない展開は素直に面白かった。
けれども余韻というものがあまり感じられなかった理由がわからない。1巻が出るたびに買ってこつこつと全4巻、一気読みしたんだが、ぱっとしない。ためしにもう一度ざっと読んでも変わらない。確かに面白いという感動はあって、感想書こうという気になったけど、どうにも拭いきれない寂寥感が胸の辺りにあって気持ちが落ち着かない。作者は相当のSF作品を読んでいるようで、1巻からして各話のタイトルにはSFとなんか一脈あるんだろうと考えてたら、そのまんま名作の題名だって言うのだから、ちょっと引いた。私にとってのSFといえば隣の異星人・藤子Fなわけで、だからといってF氏はこれほど露骨なまでにSFへの精通振りを劇中で明かしてはいない。冒頭数頁の吸引力がすさまじかっただけに、巻末の語りは最終巻でまとめてやってほしかったという気がした。
第1話は本当に心躍った。主人公の独白「地上に出ていつも考えるのは夏の事だ……」、地上に出るんですよ、地上に。雪が積もった市街地のどこかでそう思う主人公、これだけで、ああ過去にあったことをあれこれ考えているんだな・主人公の回想という形式で物語は転がっていくんだなという目安がつくわけだ。直後の少女漫画のノリに似た兄妹のやりとりと幼馴染の少女・森川の登場で、この明るく楽しい景色がやがて暗転するのかとも思えば、そりゃもう読まずにいられないってものである。次の第2話から第3話の琉伽の出現の衝撃も今後の展開を期待してしまう。で、「犬神」の時も感じたことだが、とにかく眼の描写がすさまじく気合が入っているんだ。1巻86頁の琉伽の眼、強烈だった、振り向きざまの彼女の一瞥に戦慄する貴士と同化してしまった。物語も引き締まってて、逃亡犯が誰に憑依しているのか、という謎が徐々に解き明かされるに従い、主人公が何故こんな災禍に見舞われてしまったのかという謎解きにつながっていることに、やっぱSF通はミステリー色付けるの上手いなーと思った。平行世界についても語られるから、もし未来が変われば、妹の弥衣に憑依している琉伽の意識はどうなってしまうのかっていう疑問を読者に主人公と同様に考えさせ、またTが戦士の略という最初の台詞が主人公だけでなく読者に影響しているのもいい。主人公の意識と読者の意識の一体感が強いのである、だからこそ3巻26頁の牧野の台詞もまたまた衝撃だった。これも回想によって語られる形式を選択したからだ。ところが、物語は中盤以降から妹が時折前面に出てくるようになる。一気読みにより弊害だろうか、今まで貴士視点だった独白が、次には弥衣視点になり、なにやら兄と妹の怪しい関係にまで発展しかねないところまで行ってしまうのである。当初のSF色が途端に消えていくのだから戸惑った。
私にとっては、外薗氏の漫画に全然躍動感を感じないのである。アクションシーンにも流れってもんが感じられないし、もどかしい。表情の魅力が身体の動作にまで行き渡ってないし、弱弱しく頼りない。物語の口上はどうしようと構わないが、肝心の漫画の迫力の細さが悲しかった。展開に戸惑いつつも読み進められたのは、初動の吸引力がそのまま維持され継続して謎を用意し、最後の最後までどういう展開か読めない作劇の賜物だろう。だからこそ悲しいのだ、4巻冒頭の戦闘場面の無味乾燥さといったらただ事ではない。渡り廊下と思しき通路が場面ごとにその幅を変え、瞬間移動してきたかのように現れる琉伽や牧野、48頁と49頁のキャラの配置具合……、描写も手を抜いてほしくなかった、必要な演出の結果ではないのだ、下手なんである。
さてしかし、外薗氏の物語作りへの姿勢は評価せねばなるまい(私が言うのもおこがましい話だけど)。ジュブナイル物、という態度を最後まで崩さずに描いた点が素晴らしい。誰も死なないSF、実際誰か死んでてもおかしくない話だったので、読後気付いて驚いた。ただ、1巻2巻と続けて巻末で自身のSFへの思いを語られ、しかも解説文まで書いてもらいながら(2巻の瀬名秀明氏の文章はよかった)、後半の物語は作者の言うとおりひとつの選択肢なんだろうけれど、このわだかまり……すなわち外薗SFへの不信感が私の中にあったのである。藤子Fの影響強しといった感がある。薀蓄はちょっとでいい、肝心なのはいかに日常との接点を保ち続けるか、漫画においては演出力と表現力が鍵となるだろうか。この二点を欠いたこの作品、面白かったのは事実として残るが、さて名作とか快作とかの冠が付くかと問われれば、全く付かない、と答えるしかない。SFへの過剰な愛情にあふれた作品が、かえってSFに疎い者を遠ざけてしまう結果を考えなかったのか、ちょっと残念である。
戻る