山本崇一郎「マネマネにちにち」1巻

コマから飛び出すキャラクター

小学館 ゲッサン少年サンデーコミックス


 何回か描かれているけど、やっぱり、部室内に掲げられている「一球入魂」の「魂」の字、間違っているよなぁ。故意なのか、実は略字として正しいのか、野球部の誰かの書かもしれないだろうその文字が意外と気になってしまうのだが、そんな些細な描写よりも、本作の魅力がマネージャー三人の可愛さにあることに異論はあるまい。
 おそらく読者の一番人気だろう渚と、いやいやここは一ノ瀬だろうとお思いの諸兄におかれましては、存外、姫宮派が密かに支持を拡大しているかもしれず、要は誰もがみんな特徴があって見ているだけでも楽しいマンガなのだけれども、初読でドキッとしてしまう場面があった。
 野球部員の烏丸が公園で素振りをしている熱心な様子を描いているところに、ふらりと登場した幼馴染である渚のコマをぶち抜いての全身の描写である。この存在感たるや、烏丸の隠しきれない想いに渚一人が気付いていない劇中においては、烏丸の感情が溢れた喜びは抑制され、渚の容貌や立ち居振る舞いの友達ライクな気軽さ・服装の軽快さもあって、二人の関係性にも想像たくましく、渚の恋に至らない烏丸への思いやりににぐっと来てしまう、とても清々しい場面である。
 烏丸に向かってゆっくりと歩いて近づいていく感覚をやや前のめりの姿勢に見出しながら、足元のコマではすんなりと公園の椅子に座っている。もともとマンガ的記号(いわゆる漫符)は少ない本作だが、それでも動線も効果音も全く使わずに、渚の動きを自然と無理なく紡いでしまう描写力が、なにより素晴らしい。渚を読者に見せるために、夾雑物や雑音を一切排しているといえよう。実際に公園で描かれる渚には、擬音や動線をはじめ漫符が全く補われることなく、一方の烏丸は、当然素振りをしているために、バットに関わる音がしばしば描かれ、練習後に帰宅する場面でも、能動的に自販機で渚の好きなジュースに気付く記号が付され、それを渡す場合でも「スッ」という指示したことが理解される擬音が施される。誰かに見られている(烏丸はもちろん読者にも)渚というキャラクターの言動をさりげなく強調しているのだ。
 キャラクターの特徴をいかに見せるかという点において、本作は物語の展開を踏まえつつ、最大限に生かそうとする描写が随所に織り込まれている。
 作者の作風的に大きめのコマ枠にきっちりと場面を描き切る傾向が強い。コマ枠からはみ出したキャラクターはあまり描かない場合が多く、実際に動きの激しい挿話「ランニング」からも、その様子が見て取れる。大げさに動きを描写しない分、キャラクターに寄った絵で感情を全面に出そうという演出だろう。キャラクターが枠をはみでるのは、まさにここぞという場面、モテようと汗だくの身体をくねくねと艶めかしく装おうとする渚がコマを跨って描かれ、部員たちの視線を集めようとするも、実際に見ていたのは一ノ瀬だった、というオチにも関わらず、一ノ瀬の肢体はコマ枠にきっちりと収まっており、渚のうるさすぎな主張とは異なる奥ゆかしさを醸しつつも、装っていないからこその、非常に妖艶な印象を与えている。
 次の挿話「ネコ」でも「忘れ物」でも、あれ?コマからキャラクターの魅力がはみ出ていませんか?と思い込んでしまうほど、一ノ瀬がネコを撫でた場面・渚に友達呼びされたことへの嬉しさを表現する場面は、ページの半分もの大きさで描かれる笑顔だが、コマ枠に収められている。むしろ、断ち切り(ページの端にまでコマ枠を広げる)を用いて感情が広がっていく感覚であったり、押しとどめていた感情がどっとあふれた笑顔に繋がったりと、コマ枠の大きさ・縮尺を効果的に演出に絡めてキャラクターの魅力を感情として導いている。
 コマに収まらないキャラクター描写のよく使用される例であれば、最初に紹介した場面のように、キャラクターの頭身を描きつつ存在感(特にキャラクター紹介的な場面でよく用いられる)を引き立たせるために描かれるが、本作はそれも控えめに描き、日常描写にキャラクターたちの特別なやり取りをコマ枠内に収めることで特別感や存在感を際立たせず、むしろ他のコマと同様に溶け込ませている。結果的に、キャラクターにとって無意味なコマ・捨てコマがなく、どのコマに描かれるキャラクターも、全て魅力的であるかのような印象をもたらしている。
 では、コマ枠からはみ出すほどのキャラクターはどんな演出で描かれているのか。結論から言えば、場面転換である。
 標準的なコマの大きさよりも極端に小さな空白のコマを間に挟んだり、2、3コマ空白コマを描いて文章の……的な演出を狙ったり。あるいはコマとコマの間を他よりも広げて時間や場面の急激な変化を和らげたり。いろいろな方法があるけれども、キャラクターをコマ枠からはみ出し、やや大きく描くことで、場面の急展開による状況の変化を混乱なく伝える演出技法として用いられている。映画やドラマの演出に例えるなら、突然の場面展開で演者(またはその場面にある別のもの)のアップからカメラを引いていって全景を捉えるようなトランジション(画面効果)である。
 もちろん映像には音もあるからその助けも演出を補い、実際にそのような演出法もあるのだが、マンガの場合は、作家によってさまざまな癖(作風)が見て取れ、本作の場合は、コマ枠からキャラクターがはみ出す描写によって、効果を引き出している。そのため、各挿話の冒頭でキャラクターがコマ枠をはみ出して描かれる例が圧倒的に多い。連載では3話ほどの挿話を一回で載せる本作にとって、各挿話の冒頭は、場面転換したことを読者に知らせるうえで、欠かせない演出となっているのだ。
 あるいは、マンガの物語構成でよく吹聴される起承転結の「転」の部分で、この演出が使われる例もある。「ケツバット」で、ジャンケンを省略し、いきなり尻を突き出した渚の場面。「お茶」で、話題の提供を促され、突然昨日観たドラマの話をする姫宮の場面。「理由選手権」で、マネージャーになった理由を各々聞こうと渚が「理由言いっ子大会」と突然宣言する場面。「バリカン」で、恍惚とした表情で部員の頭を刈る渚の場面。キャラクターの可愛さを全面に出しつつ転換された場面・状況は、まず最初に読者の視線をキャラクターの表情に集めて次のコマに自然と物語を運んでいく、実は優れた演出の一技法なのである。
 とは言っても、コマ運びやカットとカットをつないでキャラクターの動きを自然と見せてしまう一巻最後の、渚が半身に振り返って「マネージャー楽しいし。」という場面が、個人的には最高なのだ。
(2025.3.17)
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