「マーブル・フレンド」

集英社 ヤングユーコミックス「ガール・フレンズ」第2巻より

山下和美


 山下和美といえば「柳沢教授」しか知らない私にとって、二人の女性の感情の衝突を一作ずつ克明に綴った連作「ガール・フレンズ」は衝撃的だった。彼女たちの人生観(というか作者の主張)の錯綜加減がナレーションの交代から融合という主観の移動と同調し、新しい物語に向かう希望満ちたラストシーンは爽快だった。単行本二冊に全七話、どれも痛快にして感激だった。中でも「マーブル・フレンド」は、全編の中で最も読者に親しみやすいだろう学生時代の友情を正面から描ききっただけにとても感動した。
 この手の話として主人公はたいていその他大勢の一人に没してしまうことはないわけで、物語を構築しやすい人物設定ではある。「特別な私」ひいては読者自身を特別視させていい気分に陥れる異端児である主人公にどれだけ平凡な面を持たせるかってところが、普通の女子高生を描く以上は無視できない要素だろう、みんな異端じゃ刺々しくってたまらない。平凡かつ特別な人物を設定できるか否かが物語作家として力の差が出るところだ。
 主人公・マコは中学生時代、勝気で自己主張の強い性格が元でクラス中から無視され孤立する。といって孤高を望むほどの気はなく、急いたあまりに彼女は自ら話し相手を探し出す。その相手、後に殺したいほど憎い奴と思うほどになる弥生は、プロレス好きの土方歳三ファンという特異な価値観を持つ孤独な少女だった……孤独には見えないのだが、彼女には彼女なりの憧憬があったらしい様子がちょこちょこ描かれる件が結末の解放感(ほんとに解き放たれちまうんだなこれが)とつながって実に読ませてくれる。他の作品「EDENの女」(一巻所収)の突然の主観の逆転に驚いていただけに、この話でも何かそんな動顛するくらいの物語が用意されているのではないかと感じていたが、104頁3コマ目の弥生の表情がそんな予感を消した。すっかり孤独から立ち直ったマコに対し、砕けふざけながらもどこかまだ遠慮があるらしい弥生を比べることができ、さらに107・108頁と続けて比較させられると、何ゆえ冒頭の場面のような陰鬱な関係になってしまうのか、非常に興味がわき、つまり殺したいほど憎くなるのはマコにとっての弥生ではないかと。
 で、読み進めていくと、そういえばマコが弥生に近づいたそもそもの理由が自分のためであり、じっくり考えれば弥生はいいように利用されているだけではないかということに気づくと、マコは、中学時代に更衣室に閉じ込められた際「なんでそんな低レベルなことしか出来ないのよ、そんな暇あったらもっと楽しいこと考えなさいよ」と言い放ってやったクラスメイト自身の姿と重なり、当初特別な存在であった主人公が、中盤からたちまち平凡さの目立つ・「白い花 紅い華」で羊の群れと罵られたその他大勢のキャラクターになりさがっているのである。この転換の妙は唸る、たたみかけるように122頁のマコの両手は当然冒頭の首を絞める両手であり、ここで一息つく彼女は自己嫌悪の混じった後悔に苛まれて、ますます自分の短所を際立たせる結果に泣いてしまうのだ。もうね、ほんとにプロなのよ、この人の作品。いや、たいして山下和美を読んでいない私に言われたくない方々もいるだろうけど、125頁から一転して弥生の主観になるくだりなんて何度読み返しても飽きない、ちょっと調子に乗ってしまった自分を川井の痛い自慢話と重ねて自省し、これまで幾度も感じていただろうマコの容貌と前向きな性格への羨望がにじみ出て、それまでの借り物の知識だけだった自分をかなぐり捨ててマコに体当たりしていく展開なんて、友情最高!てな具合にこちらまで気分が昂揚してしまうよ。互いの長所と短所を自覚しあいつつ尊重しあい、これからも続くと思われる二人の友情がひとつ空に近づく、それまでいつもマコの後ろからその背中を眺め、彼女の大きさに憧れていた弥生が、初めて気持ちをためずに吐き出してマコと同じ立場に立つ・この瞬間の心地よさ、いつしか二人が主人公然としてしまう物語の構築のうまさ、正直、作者に惚れた。「面白いもんは自分で見つけねーと嫌なんだよね」と言っていた川井に弥生とは違った新鮮な個性を感じて惹かれたマコこそがとっくに自分で面白いものを見つけていた、というオチではないけど、登場人物と自分を重ねて読み込むと、架空の感情の起伏にもかかわらず現実に私の気持ちを揺さぶる物語に素直に酔ってしまった、山下和美作品をもっと読まねばなるまい。


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