三浦風「スポットライト」1巻

村人Cの矜持

アフタヌーンKC



 あーもう、ホント苛々する。登場するキャラクターのどいつもこいつも私の感情を逆撫でしてくる糞人間ばかりだ。不謹慎で自分の感情に振り回されて憤りのやり場もない。
 大学生としての生活も一年近く経とうとしていた斎藤は写真部の一人としてカメラを趣味に地味な学生生活を送っていた。女神として一人の同級生・小川を陰ながら盗撮して崇める日々としての裏の表情を除いて。
 陽キャと陰キャってカテゴリーがいつ頃から市民権を得たのか定かではないが、まあそうは言っても昔は昔で別の言い方で明るいキャラクターと暗いキャラクターでクラスメイトなり同僚なり、人が集まれば、区別して自分はどちらに属するか振舞っているのだから、人付き合いの苦労はいつになってもいくつになっても変わらないものだ。それは分かってはいるのだが、このキャラクターとして演じる自分を担保に、本当の自分(しかもそれは決まって、他人には容易に理解できない素晴らしい内面世界だという根拠なき自負がありやがって)が別にあって、だからこそマンガにはそういう現実は置いておいて、ラブコメやファンタジー世界に耽ったり、日常のひと時の描写に愛おしさを感じるのだけれども、三浦風「スポットライト」は、主人公はもちろん、周囲のキャラクターたち皆が皆、無性に腹立たしいことこの上なくて仕方ないのである。その原因を自省するに、上述のような自意識をすべてのキャラクターがただただ垂れ流す物語に、やっぱり苛々してしまうのである。
 物語の第一話であるサプライズパーティ・花見・告白タイム・記念撮影、という陽キャと斎藤が見立てるキャラクターたちの宴にカメラマンとして参加することにした理由も、小川がそこに加わっていたからだ。小川の誕生日を祝うのと同時に、参加者の一人の圭介・友達がいるのが当たり前って奴の告白成功を動画でも収める裏の名目もあった。
 だけど斎藤くんさぁ、何そんな羨ましいとかいってんの? 中学生時代はおとなしそうで先生の言うことを素直に聞く生徒で、ひょんなことから写真に興味をもって。掃除時間の間にふざけている連中を見て、ひどい奴らだと思いつつも、羨んでもいる。そんなありがちな人格を平凡に形成して、大学生になるも、女神を傍から観察するのが精一杯の自己表現で、とどめは逸崎とかいういけ好かない野郎の一言ですか。
 1巻40頁1コマ

 この場面の斎藤の今更わかってるよ感。自覚していることを指摘されながらも、逸崎の表情は描かないことで、まるで自分で自分のいけ好かない部分を指摘するような感覚。用件だけ伝えてそそくさと去るものの、逸崎の言葉を反芻するように小川たちを「羨ましすぎて死ぬ」とか言っちゃって。ホント、死ねよ。
 しかし、一話が優れているのは、誕生日を祝いながらも、小川の年齢を・一浪していることを誰も知らなかったということだ。よく知りもしないで小川を好きだと告白する圭介、そんな小川に秘かに好意を寄せる斎藤の惨めさ、少し話しかけられただけで浮かれて、ちょっと仲良くなれた気分になって。圭介の告白失敗を「ざまぁみろ!!」とか言って、最低のくそ野郎じゃないか。いや、そういう気持ちを抱くのはわかるよ、わかるけれども、結局それって、実は圭介っていい奴じゃんかと手のひらひっくり返すただのフラグでしかない。簡単、実に簡単に圭介って実は良い奴なんだなって思ってしまう。
 そういう自意識や他人との関係性がリアルであり、若さってことなんだと自分自身読んでいて分かってはいても、でもやはり拭えないのだ、斎藤というキャラクター、小川というキャラクター、逸崎というキャラクター、その他もろもろ、本当の自分を理解してくださいオーラとでもいうのか。ミスコンのカメラマンとして、逸崎と実行委員長の鈴木に面談した場で遭遇した去年のミスコンの準ミスのりかこに会うや、ミスコンの説明を聞きつつ、芸能界入り目指すりかこに「ミスコンよりオーディションとかのが近いような」とぼそっと言うと、りかこは「煽ってんの?」と切れてその場からさっさと出て行ってしまう。
 でもここで気付くんである、ああ、これって逸崎にモブと指摘された斎藤が思わず切れてしまったのと大差ないな、と。所詮は未熟な若者の群像劇、どいつもこいつも半端ものばかりなのだ。
 けどさあ、小川くん、いけないよ、あの煽り方は。盗撮されたっていう被害者を盾に、ああいう物言いは。ほら、オブラートって言い方があるじゃないか。「斎藤くんが好きなのは斎藤くんでしょ」。まったくその通りでございますなんだけど、斎藤に一週間もバイトし続けて、退学も一瞬考えるほどの重い一撃を食らわせて。その場を去ることすら出来ないショックを与えて。
 なんやかんやでミスコンのカメラマンとして実行委員に関わっていく以上、斎藤とは今後も顔を合わすのに。言わずにいられないキャラクターですか。それとも、小川がキャラクターを演じるのは好意を抱く逸崎の前だけで、それ以外はどうでもいいのかな、というようなことも、よりにもよって斎藤に言ってしまう。斎藤は確かに小川のことをよく知らないけど、小川だって斎藤のことをよく知らない。そんな当たり前のことを無視して、みんながみんな自分を棚に上げて、やいのやいの言い合う不毛な勢力争いに、なんで参加してしまうのか。
 1巻のラスト、そんな努力も逸崎にとっては意味ないんじゃないのか、と改めて斎藤に指摘されると、小川は切れてその場を立ち去るのではなく、うずくまって考え込み、「確かに……」と得心した表情を見せるのである。
 斎藤と小川の関係性、その内面を細かく描写しながら、互いの感情のもつれ、意思疎通の難しさを大学という緩い日常生活の中で(でもその狭い世界ゆえの閉塞感もあろうし、その世界の人々にとっては緩くなんかない厳しい世界なんだろうけど)、達筆な細い文字みたいな筆致でさらりと描く「スポットライト」を苛々しながら読み終わってみると、あーもう、やっぱりホント苛々する。登場するキャラクターのどいつもこいつも私の感情を逆撫でしてくる愛おしい人間ばかりだ。不器用で他人に振り回されて安らげる場もない。
 でも斎藤くんさぁ、なんで君は眼鏡を掛けてないの? 中学生の時は掛けていた眼鏡だよ。素朴な疑問、ホントはカッコよくなりたいんでしょ。
 そんな斎藤くんには、是非ともモブキャラとしての意地を見せてほしいので、この曲を捧げよう。美波「main actor」!
(2021.2.24)
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