志村貴子「娘の家出」1巻
さりぱり感覚
ヤングジャンプコミックスX 集英社
志村貴子の最新刊「娘の家出」が面白い。冒頭から波乱の連続で、あまりにテンポの良い物語運びに、1巻でこの充実感!と昂揚する余韻を堪能している。
志村作品と言えば、「放浪息子」「青い花」が代表するように、ジェンダー論を見据えた語り口が多いし、実際、そうした意識を強く持っている作家であろうことは、デビュー間もない頃の短編群を眺めても明白である。
正直に言うと、私は上記2作品を途中で読みやめてしまった口である。女装する小学生の成長物語が中学生に至ってどう変化するのかがスローペースでもどかしかったり、女の子同志のあれこれには読み進めてもどうにも琴線に触れるものを得られず、結局のところ、主人公まわりのキャラクターたちがかわいいというところで落ち着いてしまったのである。
だが、「娘の家出」は群像劇であることをはじめから訴え、一癖も二癖もあるキャラクターたちの思惑が四方八方から輻輳する「敷居の住人」のような楽しさを感じたのである。もちろん前二作にもそういう面は存分にあるわけだが、性差がどうこう小うるさい外野に読後感を阻害されない、純粋な面白さを感じたのだ。
完全にジェンダー論を退けられるわけではないし、本作でも、離婚した父親が実はホモで今は若いデブのホモと同居していて、主人公の娘は、その父の愛人に惚れているというとんでもない展開と性差問題が最初から炸裂しまくりなわけなんだけれども、一話に凝縮されたこれだけの要素を、実にあっさり無理なく詰め込み、そしてさっぱりと物語を動かしてしまう構成力に、ただただ脱帽・感激してしまうのである。
ああ、これだよこれ。キャラクターたちのそっけないくらいに、あっさりと事態に馴致し甘受してしまう対応力の強さなんだよ、志村作品の肝は。それでいて、さっぱりとした味わいが、心地よいしつこさで読後も漂うのだ。もちろん読み切り形式から始まった故の潔さもあるだろうが、1巻全編にわたって暴れまくっている「あっさり・さっぱり」感覚に酩酊すらしてしまうのである。
その象徴的とも言える挿話が第6話の衝撃だが、その前に作品の概観を述べよう。
高校生の四人の女の子を主軸にした物語。それぞれがいろいろな思春期やら何やらで問題の火種を抱えている彼女たちの共通点が、親が離婚している、という点だったわけだが、主人公のまゆこの母は、ホモだった父と離婚後、働き始めた店先のおじさんと恋仲になって再婚したところから、このバランスが少しずつ崩れていくのだろう。同時に、女の子たちの友達付き合いの時の表の顔と家の中の裏の顔の違いもまた楽しかったり驚いたりするのが、面白くもある。しつこく書くが、展開と描写があっさりしているので、傍から見れば重い話題に重さを感じない描き分けが施されているのだ(第3話の女の子の境遇も結構悲惨というか、小さな頃から出来のいい兄と比べられて、日頃くらーい顔をしているんだけど、友達にバイト行こうよと話しかけられた途端に表情が一変して表向きの笑顔になる)。
あっさりさっぱり展開の一例として136-137頁を挙げよう。主人公・まゆこの母親が再婚を報告する場面だ。ほとんど顔のアップが連続するコマが続く。まゆこの回想ということもあって背景はスクリーントーンがある程度だ。前頁で回想の始まりがほぼ同じトーンの背景があるからだろう。135頁で彼女が友達との会話中に目を伏せて、うちだけ再婚してしまうことを告げると136頁1コマ目で母の「ママ 結婚するわ」のどアップ、次のコマのまゆこのアップは先ほど目を伏せていただけに、目を見開いてびっくりした感(このおばさん何言ってんだ感もある)があり、これだけで回想であること、母の報告が突然であったことを一切のセリフも言葉もなく説明してしまう。3コマ目から137頁で再婚相手のおっさんを紹介する場面に至っては時間軸をもさっぱりとすっ飛ばす。
3コマ目と137頁1コマ目の服装に注目すると、母の服装が異なることに気付くだろう。つまり、すぐに相手を紹介するユーモア交じりの小気味いい展開の間には、ある程度の時間が経過していたことをさりげなく表現しているのである。そこもまた彼女の回想場面だからこそ出来る展開の飛躍でもあるのだけれども。
そして、まゆこの服装である。黒のレースっぽい服を来ていることから、おそらく自宅でいきなり母がかしこまった話があります系の告白を居間において聞かされた彼女は、そのまま白い上着を羽織って外出着っぽくし、母は余所行きの服装に着替えたのだろう、その日のうちに相手を紹介されたに相違ない。138頁で、まゆこの着ている服が136頁3コマ目と同じ黒い服に白い上着を羽織っただけの姿であることから察せられる事実である(妄想とも言う)。
まあともかく、最小限の描写で最大限の背景(もちろん実際の背景ではなく、各キャラクターが抱える人生であったり喜怒哀楽であったり問題であったりといった意味での背景)を導き出させる手管が本作に詰まっているということなのだ。
そうしていよいよ第6話である。志村作品において標準的なかわいい女の子な描かれ方をされたまゆこに対し、四人の女の子の中でおそらく一番かわいらしく描かれていない可夏子(かなこ)は、糸目で身長ひょろ長く色気もない。そんな彼女のお家の事情を描写する傍ら家業を手伝う彼女に、色目を使う加賀というおっさんが登場する。
おっさんだ、見るからにおっさん面しているが、女性にすぐ手を出すという評判どおりの男性にも見える。そんな男性と、可夏子は関係を持ってしまうのである、あっさりと。いや、彼女の中では様々な葛藤があったことは想像に難くない。おっさんの色目を感じて赤面する彼女の描写が時々描かれ、でもまさか好きだということではあるまいという油断が読者側にもあろう。何しろ色気がないのだ。肉感的な艶っぽさを描かれているまゆこ(彼女は冒頭から風呂に浸かって胸を描かれたり下着一枚で描かれたりと、性に目覚めた女子高生としての内面を健全に描写されていた)が比較対象としているだけに、また父親と会話する子どもっぽさもあいまって、可夏子の性の希薄さは際立っていた。それだけに、この展開には驚愕してしまうのだ。だがしかし、彼女の色っぽさは実は第6話の表紙で描かれていたではないか。肩を出したワンピースで浜辺を歩く彼女の後ろ姿である。可夏子とは気付きませんでした、はい。そうか、彼女も健全な女子高生の一人なんだ。
その後の展開がまたまた子どもっぽさ丸出しで、大人と子どもの両面性を抱いている思春期の心持ちをさっぱりと描いている。そして、まゆこという対象物と比較することで、彼氏が出来たとはしゃぐまゆこ自身にも子どもっぽい面と大人っぽい面を抱えていることを改めて浮き彫りにしたのだ。
物語は続く。読者の一人として、志村作品のあっさりさっぱり感覚を今後もじっくりと堪能したい。
(2014.5.26)
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