「マイ フェア アンドロイド」
小学館 ビッグコミックス「アフター0」完璧版 第5巻より
岡崎二郎
アンドロイドが普及して幾星霜、人間の協力者として社会に深くなじんだ「彼女」・アイリスのソフト(ロボットの頭脳)のダビング(複製)に成功した日高は、すぐに欠陥に気づくものの、複製たるアイリス2の不完全な様に愛着を覚えていき、やがて……という28頁の短編。ロボットに心は宿るか、というような話のようでいてそう単純ではない、人間らしさとは何かという問いかけもこの作者の手にかかると実に感動的な物語になる。
SF作家について薀蓄を語れるほどSFは読んでないけど共通して言えそうなことが人間の心について独自の哲学を体系付けてしまうことがあると思う。作家でなく誰でもそのような積年の自論はあろうが、作品として公にするときの覚悟は素人には想像できない自負があろうかと察せられ、俄仕込みの考察なんて寄せ付けない説得力を自ずと有してしまうのも道理だ。コンピューターの心についても幾つかの作品で言及している作者にとって、この手の物語は避けては通れない必然、宿命みたいなもんだろう。で、本作品中でもっとも注目すべきがアイリス1とアイリス2の二体のアンドロイドをいかに描き分けるかという点なのである。
アイリス1はオリジナル、2はその複製。1は完璧といえる最高級アンドロイド、2は複製の段階のわずかなエラーによって子供のような振る舞いを見せて日高に関心を寄せられる。劇中では全く描き分けされていない、同じ顔同じ体型、服装で両者を区別しているわけで、特別に何か表面で絵でセリフで違いを暗示するわけではない。でも確かに劇中の両者は無駄なく的確に、恐ろしいほどしたたかに区別されている。それはなんだろうか、と考えると本作品の大きさ・わずか28頁が一編の小説・映画を超越した巨大な存在となって私の眼前に横たわって仕方がなくなった、ぶっちゃけて言えば鉄腕アトムがくだらないおとぎ話に思えるほどなのだ(念のために注・私は手塚ファンだぞ、サンコミでコミックスを集めたんだぞ、高いんだぞあれ)。というか、それくらい密度ある作品なのである。
結論から言えば、区別しているのものは読者の目ということになる。最初のコマで登場するアイリス1がすばらしいアンドロイドであることが読者に刷り込まれた時点で主題は果たされたと言ってよい。終盤の仕掛けもこれで半ば成功したも同然である。画面上では人間とも区別されていないアイリスの動きは、さてしかし読者にとってはロボットが人間的に動いている描写としてしか映らない。ダビングに成功した日高が協力したアイリスに「君は本当に人間的だよ」と言うのもさりげないが巧みに読者の心理を考えた台詞回しである。そして誕生したアイリス2が読者にとって1と違うように読めてしまう訳が完璧なまでに主人公・日高と同調していることに驚かされる。普通のアンドロイドにない魅力、それはアイリス2に心を感じた瞬間だった。181頁4コマ目の2の表情、これなのだ。アイリスの元所有者・大隈と日高のやり取りを複雑な表情で見詰めている2に何故私は日高と同じような気持ちになったのだろうか、多くの読者がここで何かしら2の感情を読み取ったはずだ、読み取ろうとしたはずだ。それこそまさに日高の心理だったのだ。また対照的な態度で2と接する大隈も見逃せない。彼がいつまでもアンドロイドに人間味を見出せなかったのも2の心を読み取ろうとしていないからだ。対象が何を考えているかわからない、と感じたとき、人はそこに心を感じるのではないだろうかとラストで強調される訴えが、ここで示唆されているのである。
次に重要な点がアイリス1の表情である。189頁で自ら欲求(プログラム)に従って動いていることを説明し、改めて2との違いを読者に確認させておきながら、190頁3コマ目の半開きの眼差しが素晴らしい。1と2を区別していた読者は騙されたのではないだろうか、つまり前述の2の表情同様にこの1の表情から、「彼女」は何か考えていそうだということを無意識に思ってしまうということなのだ。「何を考えているかわからない」、と感じ取った瞬間相手に心が宿るとしたら、終盤のキスシーンを待たずして読者は1に人間らしさを感じていたのである。なんという描写、なんという演出力だろうか。精緻に描く必要なんてない、登場人物の心をいかに感じさせるかが血肉を与え感情移入を速やかに促すのだ、読者の心理を計算した作者の卓抜さに感服する。
最後に忘れてはならない点がある、この物語を作った存在である。アイリス2誕生のきっかけもその教育も日高への提案も、また大隈に2の処分を提案したのも全てがアイリス1なのである。プログラムどおりに動いているはずの1がこの感動的な作品を演出しているといってもいい。日高のみならず2や大隈の行動思考まで汲み取った果ての自己犠牲、1こそが最も多くの存在の心を感じていたという衝撃に立ちすむ。すなわち演出者・作者の投影たるアイリス1に心を感じたということは、作者自身の作品に込めた魂に触れた瞬間なのだ。
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