「夏目友人帳」3巻

白泉社 花とゆめコミックス第3巻

緑川ゆき



 物語が動き始めた。妖(あやかし)との交流を淡々と描いていた一話完結の「夏目友人帳」が3巻に至って、一気に様々な予感・期待を詰め込んできた。
 第十話では、蛍の妖・キヨの出会いと別れが描かれる。かつてある男性と交流していたことを告白したキヨ、2巻の名取に続く、妖を見ることが出来る存在に夏目は色めき立つ。その男性・章史は、結婚を間近に控え、懐かしき蛍の沼を訪れていた。彼のそばに寄り添うキヨだが、章史は気付かない。見えないのだ。
 妖が見えることで奇異に見られていた言動・気味悪がられた自分自身の存在が他にもいた。その彼が、今は妖が見えないという。夏目の中に自然と生まれる、自分もいつか見えなくなる日が来るのだろうか……という解放感に混じっている不安を隠せない。物語にとっても、主人公が妖と交流できなくなれば、それはもう物語の終焉を意識せざるを得ないわけだが、章史が昔親しんだ蛍の妖との交流を思い馳せている姿は、解放とは程遠い、切なさである。
 あらゆる物語に共通する主題をひとことで言えば、「見えない心」ということになるだろうか。恋愛物の多くが心が見えないゆえの苦悩を描いていることからも、そんな見当はずれな考えではないと思う。緑川ゆきの場合は、見ることが出来ない他人の心に触れた瞬間の喜びと悲しみが、ミステリっぽいストーリーに乗せて展開させる。人の心を支配してしまう声を持つ少年を描いた「あかく咲く声」、家族の再生を図る少年の隠された心を描いた「アツイヒビ」、互いの好意を知っていながら心の通じ合う瞬間が別れという衝撃を描いた「蛍火の杜へ」などなど、傍から見ているだけでは気付かない・触れ合っても理解できない他人の心と、伝え難い・説明しても理解されない自分の心。妖が見えても、人の心が見えない夏目は、2巻で、どうすれば人の心が見えるのだろうかと自問する。妖に名を返す時に、脳裡になだれ込んでくる妖の記憶・妖と友人帳の持ち主・レイコの交流の記憶・その時の感情が、夏目を不安定にする。人と妖の境界なんてそもそもあるのだろうか、どちらも見える彼にとって、それは自然な発想だった。
 第十一話は、そういう人間の一つの生き方を提示した挿話である。名取(妖が見える男性で、2巻に登場)が再登場することで、また彼が関係する呪術師たちの世界が描かれることで、見える者の世界が広がる。いつも孤独な夏目にとっては、まさに仲間たちとの交流の機会であるが、この回で彼は、今まで隠されていた己の暗部に晒されることになる。これは、読者にとっても物語を混沌とさせるに十分な印象の強さがあった。今まで自分を変人扱いしてきた人々の方こそが、むしろ妖・忌むべき存在なのではないか……作者の過去の作品の傾向から言って、夏目がダークサイドに落ちることはないだろうけど。
 さてでは、「見えない心」がいかにして描写されているかという点について述べよう。
 夏目にとって、妖が特別な存在であるかのような作劇が、妖の描かれ方である。妖は大概表情がはっきりと描かれない。ニャンコ先生にしても、まねき猫然と夏目の傍らで戯れている姿から、夏目の死を待っている大きな妖力を持つ妖であることなど想像が出来ないし、表情が固定されているから、何を考えているかわからない。喜怒哀楽を表情で描かれる人間に対し、それらが隠されている妖たちのほうに夏目の関心が傾くようにはじめから設定されているのである。過去に幾度も見てきた人間の蔑視を夏目は知っているから。
 第十話で面を被って登場する蛍の妖にしても、第十一話で名取に従う柊にしても、彼女らが被る面が、夏目(つまり読者)にとって「見えない心」であるかのような錯覚を来たす。だからこそ、面を取ったときの彼女の表情に、彼女の心を見たかのような気になってしまうのである。事実、面を取った蛍は、章史に対する感情を語るに足る笑顔で彼の結婚を祝福する。そして、一辺に明らかにされる「キヨ」という名前の深意により、彼女の心に読者さえも触れてしまう。というか触れさせてしまう作者の演出力が素晴らしい。
 一方、柊は、どういう思いで名取に従っているのか判然としない。面によって表情が読みとれないけど、夏目のモノローグによって(あるいは「使役されている」という言葉により)、面の下に悲哀を感じ取るかもしれない。無表情としての面を、単に表情が読めない小道具としてではなく、どんな感情であるのかと心を読ませることに向かわせるために使っているから、前後の夏目の言葉により、読者も柊の心を読もうとする。そして、ひと波乱の後、名取に付き添う柊の姿は、最初のものとは異なっていることも実感できるだろう。無表情(あるいは面で表情を隠す)とは、表情がないのではなく、表情が余白なのである。そこには、読者の様々な思いが色づけされ、多用な読みを促す。
 で、第十二話である。タツミという竜と鳥のあいのこの雛を育てる話だ。タツミの雛は刷り込みよろしく孵って最初に見た生物の形に変化するということで、最初に夏目を見た雛は、人間の子供のような姿になる。かわいらしい造形の雛は、表情豊かで、これまでの妖とは異なる方向から夏目の感情に迫ってくる。まあ実際かわいく描かれているんで、ほんとに赤ん坊のような気分で読めるんだけど、夏目にすがりついたりして、ほんとにかわいい。夏目も雛(たまちゃんと命名)をかわいがり、たまの気持ちを理解し、育て上げようと努める。終盤になってたまの取り合いが行われるが、ここでたまは一気に成長し竜になる。この時になってようやく、他の妖と同様にたまの表情が消える。まるで言葉・心が通じなくなってしまったかのような変貌ぶりだ。
 暴れるタツミを鎮めようと夏目は巨大なくちばしに手を添えた。夏目と雛の交流が読者によみがえる。ここでは、いろいろな表情を見せていたタツミが無表情になってしまうことで、心まで読めなくなってしまったかのような錯誤が生じている。だが、錯誤は錯誤に過ぎず、無くなってしまったわけではない。一瞬でもタツミの暴走に読者が不安を感じたとしたら、それこそまさに読者がタツミの心を読んだ結果なのである。そして泰然と振舞う夏目の強さも、印象付けられるのである。  妖の心に触れる夏目が人間の心にも触れた時、何を見るだろうか。今後の展開も楽しみである。
(2007.3.5)
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