「夏目友人帳」5巻
白泉社 花とゆめコミックス第5巻
緑川ゆき
長期連載となった緑川ゆき「夏目友人帳」も5巻目に突入し、主人公・夏目と周囲の人々とのゆったりとした交流は色濃くなっていった。友人達との外泊、多軌透や藤原夫(滋)の登場。妖(あやかし)と夏目(とニャンコ先生)の関係性に重きを置いていた物語は、彼自身が人との交流を断とうとしていた結果だった。幼い頃から変なことを言う奴などと疎外され続けた彼が、人間ではなく妖との関係に希望を見たとしても不思議ではない。劇中では、彼と同じ境遇に置かれた果てに孤独の淵に降りた夏目の祖母・レイコという存在を後景にすることで、夏目が彼女と同じ末路(といっても、レイコがどのよう最期を遂げたのかははまだ描かれていないが夭折したことだけは明かされている)を辿るのではないかという不安を常に抱えてさせている。5巻では、滋の初登場を契機にレイコの人物像が描かれ、彼女の存在が「人」を通して語られるという体験が綴られた。
これまで妖から聞かされるばかりだったレイコの人物像が滋の口を借りて読者の前に明かされる。そこには確かに夏目のもう一つの行く末が描かれていた。幼少の滋になつかれたレイコは笑う、「子供って面白いのもいるのね まだ人間じゃないみたい」。このセリフの重さを理解できるのは夏目しかいないが、滋は夏目の頭にそっと手を置いた。第19話の冒頭と終盤で描かれた滋のその行為は、レイコが得られなかった環境を夏目が手にしていることを明示している。
本作は、頭を叩く・撫でる、という行為に特別な感情が寄せられている。その人を受け入れか・拒絶するかしないかという強い意志表示である。第19話を見通すだけでも、ニャンコ先生の頭に落ちる柿とそれを拾う夏目、滋とレイコの出会いも野球のボールがその代わりを果たしている。レイコ(の頭)に向かって投げられた石は、彼女自身が棒で打ち返す。レイコの思い出を語るニャンコ先生の頭を撫でる夏目は、妖を追い回し叩きまわるレイコとは対照的である。そんなわけで、妖を受け入れることを選んだ夏目が遭遇した第17・18話の戦いは、多軌透との出会いを挟みつつ、妖の見えない世界を描くことでレイコの孤独感を夏目に体験させた。
自分にしか見えないと思っていた妖の姿を見ることが出来る人々の登場は、夏目だけでなく読者にも仲間・友達が出来るかも、というような期待感を生む。多軌は、その円の内に入ると妖が見えるという特別な陣を描く能力で、夏目にその思いを生じさせたが、彼女自身は妖が見えるわけではない。見えない人も見えるようになる、見せることが出来る人物だ。人間を厭う妖が多いために、人間に見られる、ということは妖たちにとって好ましくない状況である。多軌は陣をあちこちら描きまくったために、不意に姿をさらしてしまう妖も頻出する。ある妖は多軌を含め彼女が呼んだ名前の人物をいずれ喰ってやると迫り、ある妖は夏目に陣を消してくれと依頼にやって来る。
見えない者・多軌は、夏目の見える力を知っていた。レイコの存在が妖の記憶から夏目に伝えられたように、彼女もまた妖たちから夏目のことを知った。妖の存在が二人を繋いでいる。「彼女も見えるのだ おれと同じ……妖が」。だが、彼女と会話を重ねることで、夏目は人との繋がりを彼女の頭に手を置くという動作で示した、多軌に祟った妖を退治すべく決意を固める夏目。彼女にレイコを重ねるのも第19話を読めばより鮮明になってくる。誰も自分のような境遇にはしたくない、誰も巻き込んではならない、そういう強い気持ちが頑なに人との交流を拒んできた。それを知った夏目が彼女を受け入れるのも道理である。
多軌に祟った額に傷のある妖の探索は、夏目が妖を見る能力を一時的に失うことで混迷する。ニャンコ先生の本来の姿さえ見えない夏目の目元には、明らかな寂しさが描かれる。読者も感じただろう夏目のこの感情をどう説明できるだろうか。「見えること」を憎んでいたことさえある彼が後に「見えないこと」にさみしさを感じたかもしれないと語る。
夏目の目を通して描かれる本作は、当然のように妖たちの姿がそちこちで描かれている。夏目が見ていない方角の妖も例外ではない。読者は否応無く夏目の見る世界を体験している。第17話冒頭で現れた巨人の妖から目をそらしてしまう夏目だが、彼の背後には夏目を見ている妖が描かれている。疑問さえ抱かないこのような描写が、夏目に読者を感情移入させるきっかけになっている。読むだけで事足りてしまうのだ。さてしかし、夏目が妖の視力を失った直後の描写では、まだ妖の姿が描かれている。ちょびひげと呼称されたその妖は、夏目の症状を解説するわけだが、果たしてこれは誰が見ている世界だろうか。
第18話のこの場面は、夏目の見えるものと読者の見えるものが分裂したわずかな間である。夏目視点だった物語が、夏目はちょびひげが見えていなかったという事実によって、何者かの視点に唐突に移行してしまう。続く頁でニャンコ先生の妖としての姿が見えない夏目を強調する描写により、夏目から別れさせられた読者の感情の拠り所は、そのまんま夏目を見つめるニャンコ先生と重なるだろう。主人公との分離が図らずもニャンコ先生と同じさみしさを読者に共有させてしまう。同時にそれは、夏目のさみしさである。
このちょっとした描写は、夏目が鏡を通して妖を見る場面で読者もすぐに夏目世界に引き戻されるわけだが、ニャンコ先生の気持ちを一部知ることで、結局夏目が妖の毒で寝込んでしまったときに夏目を覗き込んでいたという先生の描かれなかった姿を想起できるわけである。
妖が見えない世界の夏目の姿は、何も無い空間に話しかけたり棒や箒を持って暴れているレイコとやはり対照的だった。レイコは常に戦っていた。もちろん彼女にとってはお遊びに過ぎないかもしれないが、人と関係を拒みながら妖たちに積極的に近付いていく彼女の姿は、妖からも拒まれる関係に至ってしまう。だが夏目は、ニャンコ先生によって抱え込まれるようにふわりと宙に舞った。その場面の前景には、まるで夏目を慈しんで頭を撫でているようなニャンコ先生の優しさが滲んでいる。
(2008.3.10)
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