「夏坂」

イースト・プレス「おかえりピアニカ」所収

衿沢世衣子



 ふざけあう少年少女の振る舞いをお気楽に描いて見せながら、それだけに留まらない何かを与えてくれる。今思えばとてもバカバカしいことに夢中になれた時代、主人公たちの多くが小学生だけど、子供だからこそ出来ることがある。難しいことは大人に任せてしまえ。子供は子供で忙しいのだ。衿沢世衣子「おかえりピアニカ」は哀しいような切ないような、だけど楽しい余韻に浸れる短編集だ。よしもとよしとも原作の「ファミリー・アフェア」やコミック・キューのドラえもん特集でタケコプターを描いた「鳥瞰少女」など、どれを選んでも面白かったが、中でも夏休み前の少年のもやもやを描いた「夏坂」が実に爽快である。
 小学6年生・シマムラは昨日祖父を亡くしたばかり。といっても小さいころに一度会っただけで、なんの実感もない。あるとすれば爺さんが住んでいた土地の海くらい。そんなわけで近所の級友エンデ(太っちょ女子)との話題もなんかしんみりしてしまう。俺が死んだら葬式何人来るかな。いつも溌剌と自分の道を突き進むエンデを羨むシマムラは夏休みになったら葬式だかなんかで四国に行かなきゃならないんだけど、それが憂鬱なのだった。自分はどうしたら自分でいられるだろうか。答えを求めて、彼は通学路の坂道にやってきた……
 漠然とした不安を感じやすい少年期の心象を、突拍子もない行動という形で描いてしまう力量がなんともすがすがしい。唐突といえば唐突、だけど小さいころなら誰でもやったことがあるだろう冒険。いや、今思えばただんのアホだけど、当時の自分にとっても一大決心なのだ。自転車ならば両手放し何秒できるか。すっ転んでしまうこともあるけれど、あの感覚は言葉に出来ない郷愁を秘めている。でもそのうち慣れてしまうんだよな、平気で出来てしまう。よし次はあそこまで両手放して行ってみよう、と意気込んでも子供って適応早いからすぐ出来ちまう。そんなときに思い浮かんだのが、目隠しである。実際は目を閉じるだけだけど。これで何秒乗り続けられるか。こえーけど楽しい。
 そんな私の勝手な感想とは無関係に、少年シマムラは坂道を前に決意するのだ。何の悩みもなさそうだったエンデがふと漏らした家族の秘密。外貌とは裏腹にクラスの人気者のエンデ、いつもマイペースなエンデ、ドッジボールが苦手なエンデ、俺には何があるんだろう。
 そんなこと思ってたかどうかは知らないが(多分考えちゃいない、だって子供だもん)、自転車で「坂道を下るとき たまに目をつぶる 最高記録2秒」という場面にちょっと興奮してしまった。私もやったことあるよそれ、ていうようなのも確かにあったけど、この場面の描き方が最高なのだ。一頁目横長3コマ黒く塗りつぶして白抜き文字で上のコマから1、2、3。ビュウウウウという風を切る音が上にかぶさって次の頁「ドン」で少年のドアップ、次頁の浮遊、逆さまの景色、センスがどうのこうのという話はよくわからないけど、この場面は見てて飽きないんだ。次の場面転換の潔さも痛快なんだけど、この通学路の坂道は少年にとっては忌々しい存在なんだ。冒頭でここを走るんだけど、駆け上がるともう気息奄々勘弁してくれってな感じで、わずか7度の角度と思われるがとんでもない急斜面なのである。そんなことがあって、この少年の飛翔・大回転は、ほんとに急斜面なんだと感心しつつ、彼の試みの幼さと懐かしさ、そして子供らしい無謀さがない交ぜになって、いつもの坂道が彼にとって大切な思い出になった瞬間でもあるのだ。
 でも、物語なんだ。劇的な要素を忘れない。これも小さなお話を大きく感じさせる演出力だろう。どの作品にも共通して小さなクライマックスが用意されてて、雰囲気や感性に逃げ込まないのである。
 「夏坂」は次にシマムラの空席の場面を描く。宿題だった俳句の発表を先生が促してもしーんとしたまま。おいおい、まさか死んだんじゃないだろうな……そんな話ありかよと思っていると、一番手に指名されたエンデの句で盛り上がる教室内、だよなー死ぬわけないじゃんという雰囲気iになったところで、骨折した彼は、ギプスの右手釣って一句詠みながら登場するのである。
 新たな決意をしたと思われるシマムラ少年のギプスは、彼にとっての勲章でもある。たった3秒目を閉じただけで、彼は最高の夏休みを迎えることが出来たのだ。
 と、ネタバレ全開してきたわけだが、他にも紹介したい作品があるけど、そこまで話ばらすのは申し訳ないので、以下は読んで確認してほしい。
 「おかえりピアニカ」、カバー裏のマンガも見逃すな!

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