「オクターヴ」第1巻

講談社アフタヌーンKC

秋山はる



 元アイドルの少女・宮下雪乃と作曲家の岩井節子の交錯を描いた作品が「すずめすずなり」の秋山はるの新作「オクターヴ」である。二人の絡みが描かれることから、レズマンガ(百合漫画)という側面を持ちつつも、前作でも描かれた他人との関係の築き方に焦点が当てられた、一女性の物語である。
 モノローグによって切々と語られる言葉は、主人公の雪乃が元アイドルという設定が彼女の自意識に深く関わっているおかげで、芸能界なんて知る由もない読者にとっても一人の人間の苦悩として直截身に迫ってくるような生々しさを湛えている。18歳で処女の彼女が妄想・回想する性描写が説得力をもたらしてもいよう、こういう設定で異性に興味を持つのは当然だよな、という感覚である、作者はこの年代の気持ちをわかってるなー、なんて尊大な気分も少しあるかもしれない。だからといって、作者の性別を肴にどうこう語ろうと言うことではない。本作で一つのポイントとなるのが、見る・見られるという関係である。
 お互いに意志を通じ合わせるには、どちらも見て見られる状態が普遍だろう。相手の目を見て話すとか、とにかく顔を見て対話を展開させていく。だが、元アイドルという見られることばかりに意識が集中させられた立場にいたことのある雪乃にとって、アイドル以降の生活がそう簡単に見る側になるわけではない。冒頭の小さな頃から憧れていたというテレビの世界に一度でも足を踏み入れた彼女にとって、たとえ無名で終わったとはいえ、スポットライトを浴びて知らない人々の視線に囲まれたという特異な体験は、彼女の強い自意識を刺激し続けるだけでなく、日常生活にまで浸透し、常日頃から見られているかのような挙動を無意識裡にしている。
 マネージャー見習いとして所属事務所で働いている彼女は、見る側に戻っても他人の目を意識し続けていた。高校時代に周囲から「元アイドル」として好奇に晒された苦い過去を回想することでごまかされているが、後に節子が指摘するように雪乃は、見られる側でいることの快楽を求めていた。
 第一話で男の人と話すとき、「目が泳いでさっきから胸元ばっかり見ている」という雪乃の言葉は、彼女にとっては事実に違いない。だが読者として今一度男の視線を追ってみても、そのような印象を与える絵がない(もちろん私の個人的な感覚に過ぎない)。彼女よりも背が高いので彼女を見下ろすような表情になるのは致し方ないだろうが、それだけでも雪乃にとっては嫌な感覚なんだろう。特に高校時代にクラスから疎外され続け、男子生徒に自慰のネタにされた過去が、彼女に男性をセックスかそれにまつわることばかり考えていると思い込ませても無理はないかもしれない。
 だが、そうした彼女のモノローグが全て彼女の自意識によるものであることを頭の隅においておかなければならない。モノローグが全て彼女の本心である保障なんぞないのだ。
 当然読者も納得のいじめられた回想場面はある。けれども、それは全てアイドル引退後の回想に過ぎない。コインランドリーで偶然出会ったアルバム・シングルを出したことがある現在作曲家の節子に、雪乃がアイドル前になる前から抱いていた見られる側への欲望があっさりと見破られる場面は、雪乃のモノローグそのものが誰かに読まれることを意識したものである可能性を示唆していると思う。57頁がそれである。
1巻57頁
幼少期の回想とアイドル後のいじめ体験を繋げることで、アイドルになる直前・たとえば中学生時代に抱いていた男性観や他人との関係を自ら切り捨て、「不幸な生い立ち」を無意識に演出する

 ここで行われた話題のすり替えは、雪乃は小さな頃から周囲からいじめられていたかのような誤読を促している。小さな頃にうらやましかったという近所の玲香ちゃんの服装。家族が多く毎日同じ服ばかり着ていたという小さい頃の雪乃と現在服を買い換えるお金も時間もないという雪乃が重ねられることで、自分はずっとそんな状態であるかのように語り、続けて高校時代に受けたいじめの体験をさしはさむことで、自分の不幸を演出してしまう。
 さてしかし、これはマンガだ。モノローグ以外にも絵による回想場面が描かれることで、雪乃の言葉と本心とのずれが読者の前に明らかにされる。事務所でグラビアアイドルらしい女の子がワンピースを自慢する姿が一瞬思い出されると、節子が雪乃の本心を掬い上げた。「私のほうが絶対似合うのに――って 思ってたんでしょ」
 節子の台詞は雪乃の小さな頃の話に対するものであるが、読者は雪乃の心根が今も変わらないことを知ることになる。つまり、先の場面で誤読を促した雪乃のレトリックが、かえって彼女の自意識を暴き立てるきっかけに刷り返られたのだ。この一瞬で雪乃と節子の関係が逆転する。対話を見守っていたはずの読者はどちらか一方に・おそらく多くが雪乃の感情に接近するだろう(顔のアップが効果的だ)。しどろもどろに男なんていつだって……としゃべり始めるけれども、節子に見透かされた本心は隠しようがなく、半ば押し倒されるようにして、雪乃は節子に身体を委ねてしまう。そして、節子の言葉によって読者は雪乃の抑えがたいアイドルとしての欲望を目の当たりにしてしまった。
 正直、私は節子の行為に戸惑った。雪乃の本心を知って余計に彼女の立場に近づいて読み進めたと思った直後のキスからの流れであるけど、雪乃もまた戸惑っていたこと・それでも抑えられない性への衝動が、彼女を辛い過去からひょっとしたら解放してくれるかもしれないという淡い期待に変化し、それはそのまんま読後への期待になっていった。男に見られるだけしか知らなかった彼女が男を逆に見定める場面のように彼女の変化を追うのも面白い。
 雪乃はたびたび一人で立ち尽くしている姿が描かれる。東京に再上京して一人の生活。地元の親友や同じアイドルメンバーだった・今はそれぞれの道を歩んでいる三人とは携帯で繋がっているが、多くの人々の中で、彼女だけが浮いているように、「埋没」していた。これも彼女がモノローグや他の台詞によって望んでいた状態のはずである。誰からも後ろ指刺されない生活、誰も自分のことを知らない日々。待ち望んでいた生活に行き着いたにも関わらず、彼女は誰からも見られないことに苦痛を感じていた。
1巻66頁
節子は雪乃の本心を掬い上げる

 節子は、ただひとり自分を見てくれる存在である。ひとりで周囲を見渡してばかりいる日常で、唯一見られることに耽溺できるのだ。雪乃は「好き」という言葉を用いたが、ともかく節子にのめり込まないわけがないのだ。節子にとってのアイドルとして、雪乃は見られる側に立てた。だが、他人に見られるのと知人に見られるのとでは意味が異なるだろう。節子という女性の素性が今後の展開でどのように詳らかにされていくのか。物語の行く末を見る側の立場からしっかりと見届けたい。
(2008.9.02)

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