和山やま「女の園の星」2巻
教室を支配する空間
祥伝社 フィールコミックス
食材を買うためによく寄っているスーパーに、家族団欒と思しき一コマの写真が掲げられていた。モデルが何かしらの指示の下で、それらしき態度や表情を、その写真になかに込めた一家四人の笑顔が眩しいけれども、一目で違和感に気付く。一人の子どもが、携帯ゲーム機を両手に持って画面を凝視しているのだ。もう一人の子どもが、画面を覗き込むよう態勢で顔を寄せ、二人の親も、二人の様子を……どちらかというと携帯ゲーム機を持った子どものほうに顔を向けている。和やかな様子であるかに見えるこの場を支配しているのは、ゲームである可能性が高いのだ。もちろん子どもがゲーム機で家族写真を見ている可能性もなくはないだろうし、家では四人全員で楽しんでいるゲームなのかもしれないけれども、家族団欒という制作者の意図(もっとも、制作者自身がそんなものは意図していないかもしれないが、そういう細かいことを言い始めたらキリがないので)とは裏腹に、写真はゲームによって、ひょっとしたらゲームから発せられる音により、支配されているのである。
2巻収載の第10話の表紙を読んだときに、不意に上述の写真が頭に浮かんだ。
引用図の右がその表紙で、左は作者があとがき代わりに使用したその時のセリフである。もちろんセリフの内容は適当で構わない、この時の作者の気分に過ぎないだろう。ここでは、スマホを見ている右から三番目のキャラクターに注目である。ひょっとしたら鏡代わりに前髪を整えているのかもとも考えられるが、いずれにせよ、7人のうち左に4人が何かしら会話をしていると思われる一方で、右側の3人がばらばらの方向を見、思い考えているという点である。三番目のキャラクターがスマホでTiktokを見るなりSNSで何かやり取りをしている、その様子を見ているらしい背中を向けたキャラクター(前髪を整えているとしたら、そのチェックを一緒にしているとも考えられよう)、右端のキャラクターは目を閉じており、見えてないだけで手元で何かを持って何かをしている瞬間なのかもしれない。
一体的な意思がありそうな女子高生の集団が、その実、まったくてんでバラバラなのである。第10話の群像劇スタイルでありながら一体感のないバラバラ感を象徴する一コマとなっている、見事な表紙である。
では実際に、この挿話を注視していこう。「自習」という黒板の文字と、学生時代の特別な時間の価値に気付いていない高校生たちを慮るナレーションから物語はゆっくりと始まる。早くも2コマ目に机に突っ伏して寝ているキャラクターが登場している。自習なんかもちろんせず、各々が何人か集まって会話を繰り広げている様子が、次々と描かれていく。こうした名前のないキャラクターたちの対話では、誰がどれに対する発言なのかを明確にするための目印が施される。太っても甘いものを食べるのが止められない、というキャラクターがポッキーと思しきお菓子を口にはさんで、ラジオお悩み相談ごっこに興じる素の顔。ペットボトルを持って教室に入って席に着く眼鏡キャラの素の顔。自習であることを自覚しながら、勉強そっちのけで時間を持て余すあまりに、くだらないおしゃべりに興じている様子を、じっと聞き入っているかのような鋭い目つきのキャラクター・安藤が、物語の核となってくるわけだが、今はまだ様子見の段階だ。
ラジオお悩み相談ごっこが、何も解決しないのを目の当たりにしながら、場面は教室の外に移る。と言っても教室のベランダに過ぎないが、二人のキャラクターの会話が淡々と描かれる。ここで本作の主要キャラである小林先生が名前だけ登場した。寄生獣みたいな顔が怖いという作者の自虐ネタを交えつつも、個人的にその最初のコマの細やかな描写が好きである。シャボン玉であり、風に揺れる髪の毛であり、佇んでいる二人に、恋の悩み?と一瞬思わせるような雰囲気を醸しながら、さらに不穏な空気の中で交わされる、恋の気配と全然関係ない、授業中の小林先生のある怖さが吐露され、共感されるくだりが丁寧に描写される。
結果的にこのベランダの二人の場面は、安藤の耳には届かないけれども、教室の外の存在を匂わせる一端となる。また読者にとっては小林先生の奇妙な言動の一部を印象に残すことになり、今後の物語に影響を与えるに違いない。だが、群像劇スタイルだからといって、全てのエピソードが物語として結実するわけではないことも理解しなければならないだろう。
続けておでんの具について対話する二人のキャラクターが登場する。ここは極めて象徴的だ。二人ともスマホを見ながら話しているのである。ラインでこんなやり取りをした、という旨の台詞により、スマホを見ている理由も何となく頷ける。安藤の様子を一つはさみつつ、次の話題である寿司ネタの話題で、二人はスマホに向けていた俯き加減の顔をおもむろに上げた。どこか遠くを見つめるような視線から、マンガの中のキャラクターに台詞が移行すると、第3話に登場した漫画家を目指すキャラクター・松岡が登場する。彼女の描く作品世界がここで一部垣間見える。
松岡の描く漫画は、すぐに人が死んでしまうという強烈な個性というかクソっぷりは健在のまま、マンガを描く松岡の前の席にいるキャラクターが「じゃがりこ」の「りこ」の意味を問う。検索すれば答えがわかるのだが、それを踏まえた安藤の回答ともいえる奇天烈な物語が、いよいよ動き出そうとする。誰の視点でもなかった物語が、安藤を中心に描かれていくのである。
冒頭で居眠りをかますキャラクターのクセの強い寝言が、教室の誰とも交流しないにもかかわらず、安藤の印象に強烈に残ってしまうのも、その後の展開によって収束される。これまでの意味不明なやり取り・全くでたらめでまとまりのない展開が、まるで定められたかのようにして、安藤の原作による松岡のマンガ、という別の次元の物語として立ち上がるのである。「バン」と机を両手でたたくような勢いで立ち上がった安藤によって、教室内のキャラクターも読者も、一息に向かう結末を注視するのである。ベランダの二人や居眠りキャラが蚊帳の外であるように、一見、まとまっているようでいて、実はバラバラのままという薄気味の悪さを残しつつ。
さてしかし、こうした夢物語のマンガが誕生する経過を見せつけられている一方で、物語は教室の外への意識を少しずつ仄めかしている。ベランダへの場面転換から、顕著になる描写が、窓に映るキャラクターの影である。
この学校の教室の壁は、おそらく南側だろうベランダ側の壁と対面の壁である廊下側の壁が、大きな窓ガラスで覆われている。教室の様子は外から丸見えなのである。過去の描写を見れば、中の生徒たちの様子が描かれてもおかしくはない。けれども、窓ガラスに影を描くことで、まるでガラスが壁であるかのような印象を与え、教室の中が閉じられているかのような空間になってしまうのである。
もちろん、それは錯覚に過ぎない。外からの侵入者は、やはり窓に映る影によって予感させられる。
2巻148頁1コマ目
不意に表れた星先生によって、教室の空気は一変するも、星先生が去れば、また元に戻っていく。外からは丸見えの空間にもかかわらず、まるで何人も立ち入ることができない・一見まとまっているようで実は全然別のバラバラな事物に場が支配された物語なのだ。夢の世界のような学生時代のあの頃の時間と空間に、永遠に囚われているのである。
(2021.8.23)
戻る