「乙嫁語り」第3巻
エンターブレイン ビームコミックス
森薫
19世紀、グレート・ゲームが忍び寄る中央アジアを舞台にアミルとカルルクの夫婦を描いた森薫「乙嫁語り」は、2巻ラストからその趣を変えた。
アミルが嫁いだ村に身を寄せていたイギリス人のスミスは、これまで観察者として彼女たちの生活に触れ、村人の声に耳を傾けてペンを執り、その姿は画面の隅で、ただ一人眼鏡を掛けた特異さはもちろん、異人としての存在感を示し続けていた。そんな彼が、村を離れて新たにたどり着いた地で、被観察者としての立場を強いられることになった。
2巻のラストで、スミスはこれまで世話になったアミルたちと別れる。彼の言葉と思われる四角く囲われた・フキダシとは別の言葉としてのナレーションが、去っていくアミルとカルルクの後ろ姿に被さった。「来る者拒まず 去る者 追わず」、そして、あっさりしたもんだなあ……とスミスの内心の呟きが加わる。一族に連綿と継がれてきた精緻な織物を旅行記風に語る彼の言葉があった後を受けての感想である。観察者としての客観的な事実の記述と、彼自身の感情が区別されていることが理解できる描写だ。
彼はドキュメンタリーのカメラよろしく記録に私情を挟まぬように努めつつ、興味の対象を個人ではなく、その関係性や生活風習に絞っていた。アミルの兄がアミルを返せと迫った時、強引な彼等の言動に反発する一族の中であわや刃傷沙汰という局面で冷静に弓をとって場を鎮めた刀自に、脇から矢を差し出したのはスミスだった(面白みのある場面だけど)。カルルクが熱を出してうろたえるアミルに対して、彼は効きそうな薬は何か考えつつ、訪れた村の医者の処方箋に関心を示した。極端に近づきもしなければ離れすぎもしない、それが彼の立ち位置だった。
3巻に至ってスミスは災難に巻き込まれることになる。誰一人知人のいない町、到着した途端に馬と荷物を失う途方に暮れる状況下で、彼は、自分とほぼ同じ状況下に陥った女性と出会うことになった。タラスである。奇妙なめぐり合わせによって物語は、スミスとタラスの関係に焦点を当てていくことになる。
快活なアミルとは対照的に、タラスは物静かな未亡人としてスミスに紹介された。亡夫の母と二人で暮らす彼女とスミスの出会いは、物語の当初から何かただならぬ関係に発展しそうな雰囲気を醸していた。それは一読者としての私の個人的な興味もあるだろうが、それまで人に対して強い興味を示さなかった彼の視線・彼はあくまでも第三者として村人の行動を記録するだけであり、仮にアミルの父によって彼女がカルルクと引き離される展開になったとしても、スミス自身は残念がるだろうけれども、一方でこの地方の民族の風習の一例として冷静に記録したに違いない。
さてしかし、スミスはこの町で民族の風習をその身で体験することになった。観察者としてタラスの身の上を記録しつつ、自分がタラスと結婚することになるかもしれない予感を劇中で強めていく度に、同時に彼は自らを被観察者として、記録せねばならない立場になったわけである。スミス視点の強調が、ここに来て前面に押し出されることになるのだ。
この作品の冒頭は見つめ合うアミルとカルルクの初対面である。カルルクの幼さに対して冷や汗をかいているらしい周囲を他所に、彼女は「あら!」と笑顔で一言漏らした。父親の権限によって嫁ぎ先が決まる世界である。結婚当日に始めて婿・嫁と対面するなんてざらだろう。アミルは、「あら、かわいい」と思ったのか、それはその後に展開されるアミルのカルルクに対する態度で鮮明になり、「かわいい」はいずれ「かっこいい」「頼れる人」等と変化し、絆は強まっていったわけだが、スミスとタラスの出会いも、この見詰め合いによって始まったのである。
3巻冒頭のタラスのアップは、物憂い必死さと可憐さがない混じった表情であろう。消えた大事な馬(それは後に、荷運びのための用としての馬ではなく、本当に大切な馬であることが明かされた)を探す彼女は、カルルクの風邪に涙するアミルの表情にとても近い。その顔が、スミスの眼前に突如現れる。慌てふためいて冷や汗を流していた彼の顔から、一切の汗が消えうせた。「あら」の一言も用いず、彼の心の変化の兆しが描写された瞬間だった。
馬と荷物は無事に見つかって、すぐにお別れというところで、スミスにタラスの顔が近づく(3巻15頁)。いや、近づいてはいない。彼女のアップがコマ枠いっぱいに描かれ、続けて是非うちに泊まって欲しいと訴える彼女の顔しかスミスの目には映っていないのである。タラスの顔が描かれたコマを縦に3コマを並べて(実際に読む順番はスミスの顔が描かれたコマを1つ挟むが)、その表情にカメラ・つまりスミスの視線が寄っていくような演出だ。
タラスとその義母の世話になることになったスミスは、この地で暮らす人々の・特に女性の働く姿を通して、風土の厳しさをまざまざと見詰めることになった。そして、結婚の場に自ら飛び込むことにより、アミルの父の権力を・ひいては一族の長の絶対的権限をいまいち理解していなかったスミスは、この地における結婚という風習が自分の知る結婚とは意味が違うことを痛感することになった。
親に逆らえないのは当然ではないかと語るカルルクやアリたち。たまたま隣に座った青年を周囲にからかわれたことで変に顔を赤くして意識するパリヤもまた、青年と見詰め合う、スミスとタラスの関係と同じだ(二人が秘めていた自分の気持ちを認めるきっかけも義母のタラスを嫁にしてくれという発言だった)が、父親が介在するか否かで、期待される結果が全く異なってしまうのも、これはもう一人の観察者である読者にとって父権が強く意識されることになった(パリヤが異性にあたふたする姿がかわいいという期待もあるだろうけど)。
自らが被観察者となることで、これまで眼鏡の下に隠されていた瞳が描かれることになったわけだが、3巻に至って漸くスミスは、作者に観察される立場・キャラクターになったと言えよう。
(2011.7.4)
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