「MONSTER」第18巻 「終わりの風景」

小学館 ビックコミックス

浦沢直樹


 18巻に至ってもなおワンパターンな演出は続いていた。102頁の銃声である。読者の興味をひきつけるには十分すぎる手法であるが、誰が撃たれ撃ったかはっきりさせず後の展開で明らかにするという、劇中幾度となく見せられた演出にもううんざりである。と言いながら、この作品がたくさんの支持を得ている所以は、劇中の謎が興味を惹きつけてやまないからに相違ない。実際にネット上のみならず某雑誌でも特集が組まれるほどだし、副読本まで発売するとなれば、もう「漫画」という枠の中では収まりきれないようだ。正直、ちょっと勘違いしてやしないか、とも思うのだが、面白い漫画というものは大概「漫画」から離れ、その台詞、その語り、そのキャラクター、その物語性に理解を求めたがってしまうから仕方のない現象かもしれない、映画化するなら誰にこの役とかなんて実にわかりやすい愚考だ。いや、別に止めやしないけど、この作品に愛着があるならば、その程度ですまないだろう、評論家の気取った「MONSTER」論を読んで満足できるわけがなかろう。
 だからといって私にとっての「MONSTER」を語るほどの気概はない。今回通して読んでみて、先述の通り一遍の演出に多く出会えば、漫画としての「MONSTER」についての私見はすでに述べているし(「漫画におけるマンガの意味」内に3つの文章あり)、私の興味は本編の謎よりも、ヨハンが見た・あるいはテンマが見せられた「終わりの風景」が一体何なのかという一点に集中し始めたのである。
 その視点に立って全編を読み通すと、まずヨハンの他者との共振性の異常ともいえる強さに注目できる。もちろん、彼は多くの人間を自在に操る悪魔的な資質を見せているが、6巻212頁における彼のそれは、奇跡のようだ。視力を失いかけた老人シューバルトは「絶望の淵で苦しんで」いた。ヨハンは老人を元気づけたいというカールの意を汲んで、オーベンベルクの森へ皆を連れて行く。その地はすでに工業地帯として開発されていたが、ヨハンは言う、「見えるでしょ? 信じられません。こんな風景があったなんて……」と。老人はそこに、池をたたえた森を確かに見るのである。この能力があってこそ、彼は多くの人々に最後の景色を見せ続けられたのだろう。ヨハンが後に「目の中の地獄」を老人に見せるのも納得である。
 では、「終わりの風景」とはなんだろうか。14巻141頁でそれを見たヴォルフ将軍は「名前のない世界だ」と言って事切れる。この景色が死に瀕した幼い双子が見たチェコ国境近くの風景であり、「なまえのないかいぶつ」の最後・ヨハンの背景の景色でもあり、絶望を超越した激烈な孤独の中に放り込まれたような、すがりようのない完全なる終わりであることは想像できる。自分の名前を呼ばれることのない世界である、誰からも望まれることのない世界である。すなわち、12巻第3章「一番残酷なこと」でヨハンが語る状況であろう。なぜ、こんな風景をテンマに見せたかったのだろうか。理屈を付けようとしたら出来るのだが、どうもはっきりしない。というのも、18巻176・7頁の見開きで描かれた風景から絶望も孤独も感じられなかったからである。9巻136・7頁の対面でそれを見たのはテンマではなくシューバルト老人である。さらにさかのぼって1巻192・3頁の対面、この時テンマはヨハンから事実を告げられて後に雨の中で泣き崩れている。「終わりの風景」を作者がどこで着想したのかわからないが、物語の当初ではそんな気配はまるでないので後付らしいと容易に推察できる。18巻の風景に感動の深みがないのは、ルンゲが語るところの「データの蓄積」・つまり絶望と孤独の蓄積がまったくといっていいくらいにないのである。致命的である。物語の表層ではつじつまを合わせるべく様々な仕掛けを施して物語を整合しているのだが、肝心なところが積み上げられていないのである。この風景の空々しいことといったりゃなんだこりゃ。しかも、過去はいずれも左手で眉間に指を当てていたヨハンがここでは右手を使っているんだから、なんか適当というかなんというか(それとも、母親が選んだ子が右手を掴んでいたから右手を指しだしたのか、ってそれこそ深読み過ぎるってもんだ)。
 感情のこもっていない「終わりの風景」を描いたところで、読者の感動は喚起できない。すでにグリマーの死に感動している読者に、それを上回る感動をと用意されたであろうかの景色の表情の乏しさに怒りさえ覚えてしまう。いや、この作品自体はとても面白かったんだけど。私自身つまらないところで愚痴グチ言ってるなとは思うんだけど。描写そのものも緻密だし。人(ヨハン)に銃を向けて再び震えだすテンマを見れば、テンマも「終わりの風景」を見ちまったのかとわかるから。計算高すぎて、感情が薄っぺらなんだよな、この作品は。


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