「ドレミファソラシド レミ ソラミ」

エンターブレイン ビームコミックス 「少年少女」3巻より

福島聡



 絶対音感への先入観は、それを持たない者・特に音楽に通じていない者にとっては神秘的かもしれない。聞こえてくる音をことごとく音符に変換してしまうという偏見を、最相葉月氏はその著「絶対音感」によって解放してくれた。私にとって劇的だったことは、音が言葉で聞こえる、という事実だった。音がドレミという言葉をラベリングされて頭の中で響くことの無意味さ、そして演奏者たちにとって必要とされる技術以上の能力・心の重要性に、やはり行き着くところはそこだよな、と妙に得心してしまう。
 福島聡の連作「少年少女」も3巻まで既刊、今回取り上げる「ドレミファソラシド レミ ソラミ」は3巻の冒頭を飾る好編である。絶対音感を持った少年ソラミと普通の少女レミの音の旅に突然襲い掛かった静寂とは一体なんだったのか、ということをあれから10年後のソラミが回想するというお話。
 まず、音を意識した描写とラストの侘しさが一等印象深い。冒頭の地下鉄ホームでのソラミとレミの出会いからして徹底している。ゴゴゴゴゴという地響きとともにはじまる一コマ目、騒音の中で虚ろな目をした少年と溌剌とした少女、どこに視線を定めるでもなくぼうっとしている少年の耳に止まったのは少女がピアニカで奏でた音だった。口下手らしい少年にとって唯一のコミュニケーション手段たる音を無邪気に遊び道具にしてしまう二人の笑顔は地上も騒音「ゴゴゴゴゴ」が響き渡る中にあって新鮮で、次第に遊びに乗っていく少年の閉じた口をほぐしていく。あーうーと当初どもりがちだった少年はあらゆる音をドレミで表現し、少女はそれを持っていたリコーダーで奏でる。それだけで楽しそうに街中を走り回っていくのだ。他の人が何か落ちた音に群がり始めて原因に目を向けるのに対し、落ちた音だけに集中しそれだけが興味の対象にすぎないという二人の奔放な姿は、読者にいろいろな感情を与えるだろう。冷たさとか悲しさとか、あるいは世間のいい加減さに対する苛立ちとか、とにかくいろんなものが騒音になってしまった世界のなかで、それらをうるさいと一蹴しないで遊び道具にしてしまう姿がとてもかわいらしくもあり、それと10年後のソラミとレミの姿を対比せざるを得ない状況に追い込まれていることに圧倒されてしまった。
 10年たっても変わらないゴゴゴゴゴを、しかしソラミは目を閉じて聞き入る。自分を音の受信装置だと語る彼にとって、世間のあらゆる音は音楽を創造する上で欠かせない材料になっていたのである。そのきっかけを作ってくれたレミとの再会のあっけなさは、「少年少女」という連作全てに通じる一種形容しがたい過酷さというか非情さというかを思い起こさせる。一瞬読者を突き放した物語が突如画面に現れてあたふたしてしまうことが何度もある。ラストのそっけなさはほとんどの作品に通じる味にさえなってしまった。さてしかし、レミがソラミの音に「何よそれー」と返す直前のコマ・レミのアップと「……」が、かの天使のお通りと通じてるのかもしれないと考えると、ラストの無情さは途端に感動へと変換されるのだから不思議だ。
 静寂を恐怖と感じた直接の契機となった出来事を天使のお通りの強烈な奴と形容した彼にとっての興味は、やはり音でしかないのだった。10年たっても変わらないその姿勢は、先生に皮肉られることになるものの、彼は音楽を創作する以上は止むなしとどこかで諦めているようなのである、読者である私でさえも、世間の喧騒は嫌だねーなんて考えていたものだから、ソラミと一緒に自分の世界に閉じこもっていた。だからレミの反応には最初虚しささえ覚えた。でも、その前のレミの顔が引っかかり続けていて、実はレミも音遊びを思い出していただろう、そうに違いない、さらに「夕焼けはきれいなんだよ」とレミの言葉を思い出し、私のラストの解釈は一変してしまったのである。
 公園のブランコでのんびりしていた二人の前に訪れる夕陽は、一緒にいたはずなのに感じていることが全然違う二人の姿を鮮明にしていた。強烈な静寂に、耳をつんざかれるソラミときれいだねと見詰めるレミ。これは絶対音感をもつ者ともたない者の対比ではなく、あくまで興味の対象の差なのだ(そもそも劇中では絶対音感という言葉は使われていない)。音を楽しむことを知ったソラミだが、レミのように見る楽しさはまだ知らない。地下鉄でソラミを見つけたのもレミだった、再会した時にソラミを見つけたのもレミだった。ソラミの心を地下から地上に引っ張り出したレミは、空を見上げて雲の形からいろんなものを想像するだろう。彼女の「……」は今も変わらないソラミへの憧憬なのか憐憫なのか郷愁なのか、この会話の一瞬の沈黙は、彼女にとって強烈な天使のお通りだったのかもしれない。
(音の羅列が音楽になる時に働く想像力とコマ・絵の羅列がマンガになる時に働く想像力は同じなのかもしれないと考えると、つまらないと面白いという二つの言葉でしか感動を表現できない人たちとは、興味の対象が違うのだなと、ちょっと沈黙してしまう私というお話。なんちて。)

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