小骨トモ「リカ先輩の夢をみる」

カメラ構えて空を見よ

webアクション 2023.1.20 https://comic-action.com/episode/316190247110230189



 映画を観ながら思わずこみあげてきた胸の苦しみに、すっと漏れ聞こえてくる誰かの鼻をすする音や抑えた嗚咽は、ここは泣いてもいいんだよと背中をそっと撫でてくれる。映画館で赤の他人と映画を鑑賞するとは、こういう体験も含まれていた。だからもう流石に私も年だし、気後れせずに感情の赴くままに心を委ねて、誰かの背中を後押ししする側に立っている。
 主人公の小林くんが眼鏡をはずして涙を拭う時に聞いたグスっという涙を堪えられない声は、私と同じ気持ちを共有してくれた他人がいたことに対する歓喜でもある。けれども、それが同じ学校の先輩だったとしたら、恥ずかしさと嬉しさが同居した感覚に襲われるのも無理はないだろう。
 そんな共感しまくった冒頭から始まる小骨トモ「リカ先輩の夢をみる」は、映画好きの少年が偶然出くわしたリカ先輩と映画仲間になれた美しい世界を、リカ本人が抱えていた・そして自分も抱えている同調圧力がきっかけで自ら打ち壊してしまう、青春の蹉跌を捉えた短編である。
 学校のクラスメイトたちと馴染むことのできない小林にとって、映画は唯一の楽しみだったのだろう。クラスメイトにうっかり話しかけられても、話題が何のことかわからず見当はずれの・けれども小林にとっては精一杯の返答をしたつもりが、彼らにとっては気持ちの悪い答えでしかなかった。何故笑うのか。小林にとって苦痛な学校生活ではあるけれども、映画の世界に没入することで、彼はただ一人の世界に浸ることができた。
 彼が観た映画はどんなだろう。一頁大に描かれた象徴的な絵は、学校から離れて映画の世界に入った景色でもある。そこで映画の世界の住人として、世界を体験する。それで十分だったはずだ。眼鏡をはずして机に突っ伏していた彼は、自然と身体を起こし、カラスの鳴き声に耳を澄ませながら、エンドロールを思い浮かべていたことだろう。しかし、今までと異なっているのは、映画の終わり際になって、彼だけが目撃したシーンが挿入される。
 ガヤガヤという雑音によって世界がかき消されていくに伴い、現実の世界が押し寄せてくると、恍惚しきった彼の表情はたちまち無表情で何事にも興味を失せた顔になっていく。先輩の姿が、異物として映画の最後にクロースアップされてしまったのである。
 小林は思わず先輩の教室で名前を知り、再会する。リカ先輩に腕を掴まれた小林は、そのまま押し切られるようにして校舎裏で映画の話をした。恐る恐るだった映画の話に、小林は思い出したシーンについてまくし立てた。映画の世界と自分がつながっている感覚、映画監督は自分のことを知らないけど、こういう世界があるんだということを知ってくれているという安堵感。そして、またも押し寄せる現実の無言という虚無感に、やっちまった感溢れる表情をするも、リカ先輩は「わかる」と肯定してくれるのである。
 小林のもう一つの現実という世界が、俄かに輝きだした。
 単純な話だといえばそれまでかもしれない。けれども、私は既視感あるいは妄想を覚えながら、映画を通した劇的な出会いに恥ずかしさを感じてもいた。
 高校生の前田が塚本晋也監督の「鉄男」を鑑賞し終えて立ち上がると、後ろの席で同じ映画を観ていた同級生の東原かすみと目が合う。一人でカルトチックな映画を鑑賞していたかすみに、前田は興奮を隠せない。映画館を出てすぐ近くにあるだろうベンチで二人は対話をする。おそらく映画の話をしたいような前田に対し、何故一人で映画を観に来たのか理由がわからないミステリアスなかすみ。ベンチの脇に立ってそわそわしている前田に比べ、ベンチで前田が座るだろう場所を開けても座らないので居住まいをただしたかすみは、おもむろに携帯を取り出して何か簡単な操作をするとすぐにそれを閉まった。映画の話をしようとしても続かない会話に、そわそわしていたのはかすみも同じだった……
 言わずと知れた吉田大八監督の映画「桐島、部活やめるってよ」のワンシーンである。すぐに思い出した。劇中では語られないが、おそらくかすみは彼氏とのデートの待ち合わせに早く来たか、彼氏が遅れたかして、時間を持て余していたと推測された。携帯を取り出したのは彼氏からの連絡がきたからだ。けれども、前田はそんなことは知らない。彼は、おそらくかすみとのその後のロマンスを一人で妄想したに違いない。教室で彼氏とイチャついているあのシーンを見るまでは。前田の独りよがりでしかないと片づけられる青春の陳腐な失恋経験だろうか。
 小林はリカ先輩と映画鑑賞の約束を取り付け、予習用の資料も抱えて意気揚々と登校した。昼休みだろう時間に友達と談笑しているリカ先輩の姿を一瞥して駆け寄ろうとすると、リカ先輩の同級生らしい男子生徒が、あの映画を観たよとリカ先輩に話しかける現場に遭遇することになる。なにそれキモイと嘲る友達に同意を求められたリカ先輩の反応が注視された。
 歪んだ表情、苦悶に満ちた汗、引き攣った笑顔、いくらでも形容できるリカ先輩の顔が描かれる。教室で一人映画の世界に埋没したい・それでいてクラスメイトと映画の話題で盛り上がりたいという矛盾した複雑な感情がせめぎあったことだろう。リカたちに話しかけた男子生徒と、小林の背中が重なっていく。もはや小林の表情は描かれなくても、どれほど現実の世界に落胆したのかは想像に難くない。
 機会はもう映画鑑賞当日しかなかった。小林は最後の最後で、しかしまたも裏切られたのである。映画館で抱えた資料をリカ先輩に説明しようと声を掛けようと絞り出した勇気のかけらは、鑑賞直前のスマホのツイート画面を偶然見たことによって儚くも消えてしまった。結局、彼女は好きなバンドのメンバーが興味を寄せる映画を追っかけていて、同じ映画体験をすることで、バンドメンバーと世界を共有しているだけなのだ。自分と同じ映画の世界に没入しないのだ。
 眼鏡に映った退屈でつまらなそうな彼女の顔は、夢で見た・あるいは妄想した感動に震える笑顔とは程遠いものだった。小林は、世界から拒絶されたと痛感した。
 だが待て、小林少年よ。本当にその感情はリカ先輩だけに向けられたものなのか? お前が教室で表情を失って茫洋としながらリカ先輩の泣く姿を思い出していた時の、目の前の教室内の景色を侮蔑するような退屈な顔は、まさに今お前が目の当たりにしている彼女の姿そのものではないのか。お前がなにそれキモイと哄笑した友達と、リカ先輩に軽蔑の言葉をまくしたてたときの表情に、いかほどの違いがあるだろうか。お前は、これまで蔑んでいた彼ら彼女らの言動の全てを、リカ先輩にぶちまけたのだ。
 リカ先輩のうろたえた表情は、クラスメイトの話題に見当はずれの返事をしたお前と同じなのだ。お前は知らず知らずに、自分自身に呪いの言葉を投げつけていたのだ。
 解けた靴ひもにも気づかずに小林はリカ先輩のもとから走り去った。逃げた、と思った。言ってやっとなどと強がっているものの、彼は逃げたのだ。世界から! けれども、彼の妄想するもう一つの逃げ場としての映画の世界には、彼女の泣いた顔が、刻印された。それこそが呪いなのである。もう逃れることはできない。あの素晴らしい映画を思い出すたびに、あの素晴らしい映画の世界に没入するたびに、あの時の彼女が立ち現れるのだ。
 さあ、小林少年よ、お前に残された道は、その世界を塗り替えるしかない。そのためには、眼鏡に映った彼女の姿を別のメディアで捉えなおし、上書きすることでしか浄化されない。さあ、今すぐにカメラを構えるのだ!
 高橋優 「陽はまた昇る」を捧げよう!
https://youtu.be/0X9P2ZqYZDY
(2023.1.23)
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