「竜の学校は山の上」
イースト・プレス 「竜の学校は山の上」九井諒子作品集
九井諒子
藤子・F・不二雄が1983年に発表した短編に「鉄人をひろったよ」という作品がある。ある晩、老人が瀕死の男に遭遇すると、男は何かのコントローラーを老人に託して息絶えた。何がなにやらわからないまま帰宅してみると、家の外で大きな音がする。コントローラーを追ってやってきた巨大なロボットだった。老人はロボットの使い道を思案するが、こんなもの、生活にいったい何の役に立つというのだろうか。果たして。
ゲームの世界ではおなじみのキャラクター達が現実に存在して身近にいたとしたら。ちょっと違う世界観の日常を淡々と描いた九井諒子の作品集「竜の学校は山の上」の表題作を読んで、すぐにその短編を思い出した。というのも、表題作は、架空の生物である竜が現実に存在していたら、という設定の下で、竜はいかにして現代を生き残るべきを問いかけていたからである。
主人公の東(あずま)は大学に入学早々、竜研究会というサークルに心惹かれる。というのも、この大学には日本で唯一の「竜学部」という竜の生態について研究する学科があったからである。ほとんどの竜が絶滅危惧種に指定され保護されているものの、竜と人間との関わりを追求せんと研究会の面々は活動していた。そのためには「食用」という需要さえ否定しない。なんの役に立つのか全くわからないし、多くの人々にとって竜なんぞいなくても困らない。だから熱心に竜について学んだところで、就職の役にも立ちやしない。サークルの部長・カノハシはそのように断言しながらも、それでも竜について研究し、何か役立てる道はないかと模索するのである。
利用価値のないもの。だから意味がない。
世の中には自分にとって意味のないものはたくさんあるし、自分自身さえ赤の他人にとってはその一部である。だからと言って意味のないものがなくなってもいいだなんて暴論を述べる人はいない。どこかで何かがつながっている可能性をみんな知っているからだ。
さてしかし、たとえばトキの自然繁殖を目指す報道を見たときに感じる違和感はなんだろうか。ほっとけばいいんじゃないの? それで絶滅するなら致し方なし。というのは言いすぎだろうか。もちろんトキ激減の原因は人間の乱獲であり生息地の開発だろう、だからそこに責任を感じてたくさんのお金を注いで繁殖を試みる。絶滅から救うのだから誰も大声で文句は言わないし、悪いことをしているわけでもない。で、それが何の役に立つの? という素朴な疑問は、実に冷酷であることを、違和感の正体は理解していない。
部長のカノハシに対し、東は竜学部に入った理由を語る。家業の配送業を継ぐために竜が利用できないか、と。江戸時代にはあったという竜による荷物の運搬も今は交通網の発達でとっくに廃れたけれども、山間部にはまだ需要があるのではないか。全うな理由に思えたそれも、しかし現実には竜の飼育代などのコストから考えても利益にならないことは明白だった。「ゲームの世界だったら活躍できるんですけどね」と東は呟く。
作品集には、かつて勇者として皆の期待を背負い晴れて魔王を倒して帰還した勇者の話「帰郷」がある。村人から歓迎されながらも、魔物(魔王を倒したからと言って魔物が絶滅するわけもなく)は今もなお村の田畑を荒らしていたし、村の大男と相撲をすれば負けてしまう。魔王を倒して終わるゲームも、それが現実の世界だったら、いつものように日が巡ってくるという当たり前の出来事を前にして、勇者のように読者も戸惑ってしまう。日常は終わらない。だからこそ勇者は常に勇者であり続けなければならなかった。ほどなく村を去った勇者のその後は、主人公のひとりの村人の口を借りて語られるが、あっけないほど短い後日譚がリアリティを醸し出してた。村人も結局村人としてあり続けなければならない。ロールプレイングの話ではない。人が人として生き続けなければならないのと同じである。
トキにしろ竜にしろ、あるいは鉄人ロボにしろ、人間にとっての意味が問われている。では彼等に問いかければどんな答えが返ってくるだろうか。カノハシは言う、「世の中にはな――ふたつのものしかないっ 役に立つものと これから役に立つかもしれないもの だっ」
竜にとって人間は役に立っているのだろうかと逆の視点に立ったとき、竜にしてみれば保護自体が大きなお世話だよと本当は思っているかもしれない。けど、本作で描かれるカノハシとカノハシを乗せて空を飛んだよし子と呼ばれている竜の関係は、単なる役に立つ立たないという利とは別次元の、何か友情めいたものが感じられた。カノハシを乗せた時が一番長い時間飛ぶというよし子にとって、カノハシという人間は他の人間とは別の意味があるし、東が竜学部に入った本当の理由は竜が好きだからに他ならない。明確な理由なんてない。役に立つとか意味があるとか、そんなものは外野の野次馬根性に過ぎない。
だから私は、コントローラーを遠くの海に投げ捨てるなんて選択はしたくないのだ。
(2011.4.26)
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