「帰ってきたサチコさん」 光射す方へ

小学館 flowersコミックス

朔ユキ蔵



 短編集「帰ってきたサチコさん」に収められ5つの短編は、どれも面白い作品ばかりだが、とりわけ表題作の「帰ってきたサチコさん」が素晴らしい。1930年代の日本にタイムスリップしたサチコが、そこで過ごした10年も、現代に戻れば10か月しか経っていなかった、というSFの体裁を借りながら、SF要素がかりそめに過ぎないことは読んですぐに気付くだろう。
 もっとも、そのような主人公の境遇が明らかにされるのは物語の中盤以降である。前半は、10年ぶりに戻った現代の生活に右往左往するサチコの日常を描写しながら、マキオという男性視点の従軍場面が交互に描かれ、サチコのモノローグの意味が計り知れず、そもそもサチコと男性の接点ははっきりしていない。マキオは冒頭から2013年を目指そうとその西暦を反芻する。サチコが生きる年号が何を意味するのか。
 10年ぶりの地元は、家族も友達もどこかよそよそしい世界の住人に見える。戸籍上では20歳だが、実際に生きた時間は30年であり、空白の10年は過去に置いてきた。気遣いはありがたいし、現代の生活は70年前に比べれば快適極まりないが、本当によそよそしいのは、実は自分自身だった。物語中盤、突然80年前にタイムスリップしたサチコ(ただし、時間を超える何かしらの演出があるわけではない)は、世話をする若い男性から与えられたらしいおにぎりを頬張りながら、この時代の人間じゃないからと反抗的な態度だった。
 サチコのモノローグと、出会いから10年をともに行きることになる彼のモノローグが描かれる。
「知らない時代へ 一人突然来て ひどい目にあってきたのだろう」
「最初は生きるためにそばにいたけど この時には夫を尊敬し愛していた」
 戦後70年という節目を機に、その手のテレビ番組や書籍の出版等が今年はにぎやかだが、戦争を経験した人々が最近まで生きていたとか、実は近くに住んでいたとか、それどころかまだ生きているという事実は、思いのほか衝撃である。遠い時代だと思っていた想像外のはるか過去の出来事が、今と地続きで、今はその過去を経験したからこそあるという当たり前の歴史は、さてしかし日常の景色の中では忘れがちである。あの時代を体験したはずのサチコも例外ではなかった。
 大学への道すがらサチコはすれ違う。いつもの犬の散歩、いつものベンチのお爺さん、いつもの小学生の兄弟。変わらない風景が、サチコを現代に戻ったと安堵させるが、10年の空白は埋めようがなかった。赤ん坊をチラ見し、友人には夫も子どももいたと明かしながらも、もちろん10か月の現実の間でそんなことができる筈もなく、冗談として済ますわけだが、付き合っていた彼だったケンゴの家を訪れると、10か月も音沙汰なく行方知れずだったサチコを待ち焦がれるわけでもなく、最初の3か月は毎日彼女のことを考えていたわけだが、今は他の女性と付き合っている。彼の気持ちをサチコもわからないわけではなかった、当の彼女も10年の間に結婚して子を設けていたのだから。
 子どもがひょっとしたら生きているのではないか。生きているとしたら75歳、無理がない。だが、昔の家を訪れたとき、すっかり様変わりした景色は、子どもの存在すら否定する。結局サチコは、何のために戻ってきたのか自身も理解できなくなる。ケンゴも自分も、いつになるとも知れない再会までの時間を待ち続けることができなかった。息子もどこにいるのかわからない。
 昔の家の場所から去るときの構図が、光射す方に向かっているような描写である。光は、サチコを過去に誘った場所であり、現代に戻してくれた場所でもある。過去と言ってもサチコにとっては70年前ではなく10年前の光だった。
 何故彼女は夫や子どもではなく、現代という時代を選んだのか。
 5つの短編の主題は、「別れと再会」だという。作品ごとに設定や舞台を変え、再会という劇的な場面もセリフを抑えた筆致で演出されるが、それでもコマを大きくするなどの描写が施される。どのような場面が大きく描写されているのだろうか。
 表題作は、現代に戻ろうと夫から離れ光に向かって走り出す場面。「走れみつる」は憧れだったアイドルに再会する場面。「かりそめ」は夜空を飛ぶ場面。「心ここにあらざれば」は心を取り戻して彼女の元に戻ってきた場面。そして「劇的」はバカ!と叫んでダンボール箱を殴る場面。本当の意味での再会は、人との再会以外の何ものかが描かれている。「光」、「偶像」、「願い」、「心」、「弟の面影」。再会したときの言動が、主人公が本当に求めていた再会相手への感情を物語っていた。すなわち、サチコは今と言う時代にわけもなく焦がれていたのだった。
 だが、70年前を生きた人間にとって、その光は70年の時を隔てた光だ。マキオにとっては、遠い光である。サチコが10年間の生活を捨ててまで帰りたかった今の時代とはどんな時代なのか? サチコの生きた時代が光に凝縮された日記を読む。空白の70年を、物語の後半が埋めていく。マキオの回想が始まるのだ。
 傑作である。
(2015.6.15)

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