「3月のライオン」第10巻 てのひら

白泉社 JETS COMICS

羽海野チカ




 桐山零が、橋を渡った。
 桐山にとって将棋は、一つの家族を壊してしまった拳だった。育ての親である幸田との対局を、彼は物語の冒頭で殴ると形容した。5巻の感想でも、この作品は対局を殴り合いに形容している点を指摘した。そうした傷付けあうかのように錯覚される感覚の一方で、宗谷と土橋の対局は互いに底知れぬ将棋という深海に潜る楽しさを共有しているような描写もなされた。
 だが、当の対局者たちが桐山に殴られていたと感じていたかは定かではない。再戦を楽しみしている風な9巻の幸田と桐山の笑顔は、結末を占う大きな伏線となるだろう(もっとも、桐山が所属するB2には幸田以外に死神の滑川もいるし、スミスもいるし。獅子王戦では土橋や後藤との対戦も描かれるかもしれんし、意外と先は長いな)。
 桐山に笑顔をもたらしたものは、三月堂の川本姉妹の影響が大であることに異論はあるまい。そんな川本姉妹の危機に、彼が将棋で家族を守ろうと決意する10巻、決意の仕方は唐突かもしれないが、幸田家で取り戻すことが出来なかった家族を、彼は将棋で再び作り直すと表明したのである。
 97話で幸田家との決別を果たした彼は、落とし所を失った拳の所作に迷っていたかもしれない。モモが桐山の前で着替えをすることに恥ずかしさを覚える年頃になったことで、彼の仮の居場所である川本家は、少しずつ長居しづらいところになろうとしていた。
 雨が降り続ける街と形容した自分が住む六月町は、まるでずっと水の中の、底にいるような空気が漂っている。この作品で表現される、真っ暗な水の中にいるような・その中に水の流れを白い軌跡で表しているような背景は、様々なキャラクターの暗い気持ちを代弁してきた。一方で、三月町の灯りのような暖かさに対しては、光の輪のようなトーンを鎖のように繋げた背景を施して表現されていた。この対比が、キャラクターの心情を読み解く鍵でもあった。
 一方で、9巻・土橋の深く潜り続ける将棋に対する研究や、10巻・入江が桐山に感じる海の中のような底知れぬ棋力に対しても、水の中にいるような背景が描かれていた。暗い気持ちであると同時に、深く考えるという意味もある背景だろう。「2時間という長考の末に」指した3九銀と銀を引いた桐山を見て、入江は桐山の辛抱強さに感心した背景でも、この水の中に潜っているような表現が用いられた(余談だが、この将棋は2010年9月に行われた郷田真隆九段と木村一基八段の対局が下敷きにされており、3九銀と指す手に郷田は167分という長考をした。なお結果は、桐山と同様に郷田が勝利した)。
 副題の「泳ぐ人」が入江の海の中という感覚を煽っているのは間違いないが、では、もっと深く潜ったとき、入江は、潮の流れも感じることなく、真っ暗の海の中で巨大な魚に睨まれた感覚を味わった。3六桂という勝負を決めた一手により、「慎重で おそろしく静か」に巨大魚は入江の脇をすり抜けていった。
 もはやそこに、当初桐山に宿っていた、目の前の対局者がいないかのような姿勢は全くない。腕の力は解け、泰然と相手に向き合っていた。彼の拳は、暖かく駒を包みこむ手のひらに変わっていた。
 不意の訪問者に対しても、彼はこの手を拳にすることはなかった。
 ひなやちほを苛め抜いた・相手の考えを無視したような振る舞いを続ける、傍から見れば何も悩んでいないようなキャラクターの高城が、教師によってともに水の中に潜っていくような感覚。それすらない訪問者の快活に見える笑顔と屈託のないのような口調に直面したあかりは、棋士の長考のように深く潜り始めていた。そこに手のひらをかざして割って入った桐山は、あかりの隣に座ると、水の中に花びらのような空気を送り込んでくるのである。
 白い背景であればトーンで表現されたであろうそれらは、明るい背景になって光の輪の鎖となって川本家を覆っていく。何の背景も持たない訪問者によって、気分のまま底の知れない水の中に沈んでいくかと思われた彼女たちの気持ちを、たった一言で浮き上がらせた桐山の改心の一手は、入江が感じた3六桂と同じ衝撃を各キャラクターにもたらしたのだ。
 だがその衝撃の余波は、作品内だけにとどまらなかった。「3月のライオン」という作品に深く入れば入るほど、読者は羽海野チカという巨大魚のような才能に睨まれている恐怖にも似た感覚を味わう。才能の一端に触れてしまったという痺れるような鳥肌立つ物語の展開に、多くの読者は、溺れるように歓喜したのだ。
(2015.1.19)

戻る