ユペチカ「サトコとナダ」全四巻
写真
講談社 星海社コミックス
日本人留学生サトコとサウジアラビア留学生ナダのルームシェアによる共同生活を、二人の友情の経過を丁寧に描きつつ、Webによる縦スクロールの四コマ漫画スタイルで連載された「サトコとナダ」が四巻にて完結した。書籍化にあたっては、もちろん見開きによる右から左への流れによる従来の四コマ漫画と同様の読まれ方をした本作であるが、縦スクロールをもともと意識された作風であり、特にキャラクターたちが現地のアメリカ人や留学生仲間たちとする英語による対話は、フキダシの中の文字は横書きで、日本人同士による対話が縦書きと言う形式が取られた。この方法自体はさして珍しくはないが、対話はほとんど英語で行われていると思われ、そのためフキダシの活字もほぼ横書きである。
もっとも、縦スクロール形式のマンガを読む経験がほとんどない私にとって、感想を書く前に書籍形式ではなくWebでこの作品を読んでみようと思い、公開されている本作を読んでみた。なるほど、縦に四つのコマを並べるスクロールを意識したコママンガであることが確認でき、書籍として読んだ際の、見開きを意識しないキャラクターやフキダシの配置をうっすらと想像できた。ぱっと見はコマをもう少し細かく割ってもいいんじゃないかという場面でも、縦スクロールの場合は、当然スクロールしながらコマの中の視線が右から左へ流れることを前提にしつつ、それは書籍と変わらないと思われるが、次のコマがスクロールで現れることにより、書籍で言うめくり効果(ページをめくる前のコマとめくった直後のコマの描き方で物語の起伏や転換を生む)が、コマ単位で出来ることが出来る反面、見開きによる大ゴマのアクションやコマの大小による物語の躍動感は演出しにくいとも感じた。もっとも、今のところwebマンガは過渡期なので縦スクロールが定着するかどうかは全くわからないが、例えば、集英社は「ジャンプルーキー」でwebマンガを扱いながら、「少年ジャンプが贈る」と題された縦スクロールに特化したマンガ作品を募集する、そのまんまの「縦スクロール漫画賞」を実施している。応募された作品のいくつかを読むと当然のように縦スクロールを意識したキャラクターの運動というものを読み取れるし、コマごとのめくり効果を意識した物語の転換(まさに起承転結でいう「転」である)も見受けられた。右上から左下という見開き漫画による視線運動がほとんど上から下へ、また局所的にコマの中を右から左へ読むなど、いずれにせよ書籍のコマ割りマンガとの違い・メディア論的な研究は評論家や研究家に任せるとして、ここでは「サトコとナダ」そのものについての感想を述べていきたい。
アメリカに留学した二人がルームシェアをしながら、日本とサウジアラビアやアメリカなどの異文化に触れ合いながら互いに理解を深めていく、だからといって彼らは異文化に染まるでもなく自分の民族性を失うことなく、自分自身として生きていく。海外で感じるだろう外国人としての自分が作品の中で確立していく様子は、留学の悲喜こもごもを紹介するエッセイの色合いが濃い。特にサウジアラビアのナダを中心に登場するイスラム教徒の留学生たちが、イスラム文化を紹介するくだりは、それに対してさしたる知識もない読者・もちろん私にとっても、とても興味深いものであり、後に登場するマチコという日本人留学生のようにあまりいいイメージがなかった人もイスラム文化に対する偏見を失くしたことだろう。ヒジャブと呼ばれる黒装束の下では綺麗に着飾ったり、あるいはそうしたおしゃれをせずパジャマ姿のままでいたりと隠されているからこそ自由な服装ができるという視点は新鮮であり、不自由な印象があるムスリムの女性たちに対するしたたかさと賢さを感じた。そのため、作者はインタビューで「これは個人的な意見なんですけど、友達って同じ考えの人としかなれないって感じがちだけど、違う考えの人とも友達になれるし一緒に暮らせるって思っていて。だから描くときに考えていることは、日本人とムスリムの女の子じゃなくってサトコとナダの物語を描くっていうことですね。(出典:https://ddnavi.com/interview/395371/a/)」と語ってはいるが、どうしたって異文化交流という側面が強く、それは作品からも意識されているように思われる。この辺は作者と編集者と、イスラム文化を紹介したい願う監修者の各々の思惑の塩加減によるところが大きいだろう。二巻冒頭で読者に向かって簡潔に物語の概要を説明するくだり・このメタフィクションめいた作劇でナダの口調による某美少女戦士っぽい四コマの最後のナレーション「「サトコとナダ」再び始まります!よろしくお願いします!」は、ナダを「サウジアラビア出身」と紹介し、日本の読者に向けた異文化交流である点を想起させ得るが、四巻で同様に自己紹介する四コマは、二人の好きな食べ物や趣味をフキダシで語り合い、練習した踊りが失敗する仲の良さをアピールし、ナレーションが「よろしくお願いします!」に留まると、物語が異文化交流という面から二人の関係性・友情の深まりに移行していることが読み取れる。
とはいいながら、イスラム文化の紹介は至る所で描かれる。物語はナダの結婚相手の登場から婚約と動きながらイスラムにおける結婚制度が解説され、他の文化との違いが強調される。自由恋愛ではなく親同士が決めた結婚として負のイメージがある展開を、ナダと婚約者をユーモアに描くことで、幸せな結婚もあるのだと物語の中で解説しながら、サトコの認識を改めていく。一方では、サトコの留学期間が終わりに近づいていく展開を物語の当初から用意し、それに向かって少しずつ物語が進行していく。マチコの登場と退場がわかりやすく二人の別れを意識させ、物語の完結を読者に強く意識させたことだろう。
1巻35頁web版
1巻35頁web版
上図の二つは1巻35頁のweb公開版である。スクロールすることにより、最後のコマが二つに分けて見えることがわかるだろう。縦読みが意識されたコマの配分の一例だが、三コマ目が分断されて見えることにより、最後のサトコの言葉が印象深いものとなっている。そして、物語が始まったこの時点で、「この瞬間がずっと続けばいいのにな」と終わりを意識させているのである。いつか来る別れは、二人の物語が人生の通過点でしかないことをも意識させる。だからこそ、一瞬一瞬を大事にしたいのだ。
さてしかし、そうした物語の概要よりも個人的に楽しいのは、作画の拘りである。サトコが割ったナダのお皿の模様がナダのスマホの壁紙だったり、自分の婚約が親や兄たちに勝手に決められたナダの抱く複雑な感情を察したサトコが、ナダの大好きなお徳用チョコレートを抱えていたり、サウジのお菓子デーツを干し柿みたいとサトコが思えば、日本から送られたどら焼きをデーツみたいとナダが思ったり、二人の感情や思いやりが作画を通して描かれ、読者に何げなく示されているのである。二人の情愛が個々に気付かれないように描かれる挿話を他のキャラクターが気付き、つまり読者に気付かせることで、その深い結びつきは物語の軸となっていく。
けれども、二人は物語当初からとても仲良しとして描かれており、その距離感が物語の最初と最後でどれほど縮まっているのかが図れるものが少ない、私の気付かないところで描かれているのかもしれないが、振り返ってみると、二人が並んで写真を撮る場面がほぼないのである。フェイスブックやらSNSを活用している描写はありながら、スマホもアプリもいろいろに登場しながら、写真が極めて少ない。いや、少ないからこそ、距離感を掴むことが出来るのだ。
1巻5頁
1巻の最初の頃にナダが写真を撮り巻くる挿話がある。そこでは上図のようにナダしか写っていない。隣にサトコがいても、ナダは自分しか撮っていなかったというオチのコマになっているのだが、4巻中盤、サトコの帰国を前に思い出旅行でニューヨークに行った際は、オチのコマでオチになっていない普通の写真(下図)を撮っているのである(上図の写真を踏まえてのオチだろう)。しかもサトコしか写っていない写真もある! たったこれだけだ、これだけで二人の親密さの変化が見て取れる。
4巻77頁
4巻にボーナストラックとして描きおろされた短編は、あれから何年か経った二人が再会する場面を傍目から見守る今の二人が描かれる。作者の希望と読者の要望が合致した特別な短編だ。そして最後に描かれた「Dear SATOKO」とサインされたナダの写真は、自分しか撮らなかった彼女自身の姿が、サトコにとっては大切なものであることを知らしめてくれる、二人の強固な愛の証なのである。
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