「さよならガールフレンド」 彼女の本心
祥伝社 Feelコミックス FC SWING
高野雀
寒い夜を二台のスクーターが通り過ぎる。女子高生のちほと先輩のりなが向かうのは、休まず動き続け、煙を轟々と吐き続け、夜間光りを放ち続ける工場が見える「トクトー席」だった。昼間の無骨な鉄の塊からは想起できない意外ときれいな情景を、ちほは「怪獣みたい」と形容した。平凡な私は、逃げ惑う間もなく簡単に飲み込まれてしまうだろうと、ちほは考える。そんな何もない自分を痛いほど教えてくれる景色だった。
高野雀「さよならガールフレンド」は、6つの短編を収めた短編集である。表題作は、約70頁の中篇として、単行本の巻頭を飾る傑作である。
主人公のちほは大学進学を前に、二年付き合っている彼氏とのやり取りや友達との日常に退屈をしていた。ふと発覚した彼氏の浮気と、「最近やらせてくれないじゃん」という典型的な言い訳も含めて、何もかもつまらないのは、この町そのものが抱えている閉塞感が遠因だと分析する。冒頭から感情表現が乏しいちほの描写は、町を囲む緑々した夏の暑さの気だるさそのものだった。
地元の大学に行くか、東京の大学に行くか。そんな将来に漠然と悩みつつ彼女が出会ったのが、彼氏の浮気相手のりなだった。彼女はビッチ先輩と言われるほど、いろんな男を相手にしていた名のとおりの存在ではあったが、ちほは交流を重ねていくうちに、彼女の諦観に惹かれていく。それは、この町に住む人々が心の底で理解している、何も出来ずに町の中でただ生きているだけのつまらない日常の象徴であり、いずれそうなるかもしれない将来の自分の姿でもあった。
どうすればそこまで諦めきれるのか? そんな直截的な話は一切出てこないけれども、郊外の工場の夜景を見ながら、りなが語る言葉の端々に、ちほは彼女の何もないけどかっこいいと形容した工場の存在感を、彼女自身に求めていったのかもしれない。将来にワクワクするけど、だからと言って何かあるわけでもない。でも、工場は、真冬になっても雪に覆われてしまう町の景色の脆さがなく、力強く煌々と光り続けていた。
ちほの選択は東京に行くことだった。狭い町から飛び出す、親も賛成してくれた。彼氏ともきっぱり別れて、受験勉強に勤しんだ。「フーン」とか「ハハッ」とか、どこか素っ気無い二人の会話は、必要以上に距離を詰めようとしない、友達ではないけど丁度良い話し相手のような距離感がある。
話ながらいろんな表情を見せるりなとは対照的に、ちほの表情は起伏に乏しい。冷めたり興味ない目になるくらいで、まるであえて無表情を装っているかのような窮屈さがある。この町の空気に感情を支配されたくないという気概でもあるかのように、ちほは、りなに対しても淡々としているのだ。
そんな物語の後半になって、りな視線の描写が混在してくる。冗談交じりの口調でりなの行動を咎めるちほのよそよそしい心配の一方で、りなの真剣な眼差しがちほに向けられるのである。
いろんな男とセックスしてあげる自分の優しさを説き、「減るもんじゃないし」と揶揄めいた口調でちほに語るりなは、「人間のソンゲンが減ります」とちほに言われる。「そんな都合のいいゴミ箱みたいなあつかい 人が受けていいわけないんです」
コンビニでリプトンの紙パック紅茶をよく飲むちほは、その時もまた紙パックを飲み干した直後だった。それをゴミ箱に捨てようとしながら語るちほのその言葉に、読者はハッとさせられる。もちろん、ちほには何の意図もない。
「じゃあ あたし 神様にでもなろうかな」
おそらく、りなにもちほのような分岐点があったに違いない。けれども、彼女は地元に残った。そして、地元でくすぶり続けたまま、こんな自分になってしまった彼女は、自分がどういう人間なのか・周囲からどう思われているのかも理解していた。だから人の感情がよく見えたに違いない。自分との距離感を詰めようとしながら、どこかで戸惑っているちほの感情も見通していたのだ。微妙な距離感を保っていたのは、ちほの不安定な感情を察した、りなの本当の優しさだったのである。
特等席をトクトー席、尊厳をソンゲン、放棄をホーキなどなど、照れ隠しのような物言いで互いの距離感を計っている二人の言葉の真意も、りなだけはは理解していた。だから報いも受け入れる。暴行を受けて入院したりなを見舞うちほは赤本を手に勉強に余念がない。その行為自体が、本当はとても心配しているちほの照れ隠しであり、精一杯の愛情表現だった。
病室を出て、たばこが吸いたいと嘆くりな。すぐに退院出来るんだから、と諌めるちほ。りなははっきりと言う。「(病院を)出たって もう行くとこねえよ」
地元でも居場所を失いつつあった彼女の言葉を、ちほがどんな顔で聞いたのか、はっきりと描かれない。東京への進学が決まった工場の夜景を前にした二人っきりの宴で、ちほは泣いてしまうが、その顔も見せはしない。りなは「見せろよ」とからかうが
、読者にさえ見せられないちほの表情の大きな変化は、見せないことによって際立っていく。
地元から離れる飛行機の中で、ちほはりなから送られたメールを読んでまた泣いた。その顔も描くことはない。雪にさえ隠れることのなかった工場が、雲の陰になって見えなくなっていき、やがて完全に視界から消える。
「そのうち何も見えなくなった」
ちほの涙は止まることなく流れ続けたのかもしれない。
工場のような・怪獣のような存在感。雲に隠れても彼女の言葉はいつまでも残り続ける。りなのエールの言葉は、拙く簡素な文面だけれども、片仮名でごまかさない、彼女の本心なのだ。
(2015.01.19)
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