「青春★オノマトペ」1巻
降る雪やドラゴンボールは遠くなりにけり
講談社 KC Kiss 1巻
江本晴
アニソンバンド物語という本の帯に惹かれて買った江本晴「青春★オノマトペ」を読んで、なんだか感慨に耽ってしまった。
ニコニコ動画を模した動画投稿サイトで「演奏してみた」を投稿するオタクの大学生・檜(ひのき)と、何かしたくてうずうずしているけど何をしたいのかわからない16歳の女子高生・ユキオが出会う。だからといって、すぐに恋愛物語が始まるわけではなく、ひょんな流れから、檜の友人の弥一郎と共に三人によるバンドを結成するに至るわけだが、その無理やりな物語の展開の巧拙はとりあえず置いといて、アニソンが持つ力みたいなものを改めて痛感したのである。
いや、面白い作品なのである。何かしたい!って感じを「スイングするガール! とめはねするガール!」と表現する台詞なんぞは、確かにとてつもない説得力がある。「シンクロするボーイ」でもいいが、押さえ切れない衝動を集約した言葉として、ユキオはこれらを「うずうず」「むずむず」と形容し、自分も何かして皆から注目を集めたい・誉められたいって気持ちが渦巻いているのだ。
しかし、あまたの少女漫画の主人公よろしくユキオには特別な才能があるわけでも選ばれた血筋の子孫でもない、平凡な女子高生である。バイトする姿から彼女の真面目で一所懸命な性格はわかるし、檜を「オタクキモい」と言って傷付けたことに反省して償おうとする様子からも、彼女の誠実さは理解できる。となれば、その性格に檜が惹かれて恋が芽生えるなんて展開もありえようが、この作品は、そんな物語の衝動の代替物としてアニソンを持ってくるのである。
アニソンを歌うなり聞くっていうのは、そのアニメの世界に没入するきっかけになるだろうし、放映当時の思い出を喚起する側面もあるだろう。ニコ動でユキオが聞き惚れる演奏が実はあるアニメの曲だったという展開が待っているわけだけれども、オタクではないユキオはそのことを知らない。だが、そんなユキオでも知っているアニソンがある、所謂国民的アニメである。
第1話で、とある理由から泣いているユキオを励まし代わりに檜が演奏する曲がある。あの誰もが思い出せるメロディの演奏シーンが、この作品の最初の肝となった。「トゥルルルルルトゥルルルルル……」という擬音が檜の演奏するギターから奏でられた。ドラえもんの旧OPテーマ曲である。擬音だけでは意味がわからない片仮名の羅列が、「ドラえもん…?」とユキオの口から発せられたとき、旧OPの旋律となって読者の耳に「届く」のである。
知っている曲を擬音で並べて何を演奏しているのかキャラクターに言わせるってのは、マンガの表現としてどうよ? という意見があるかもしれないが、私は、この場面で確かにドラえもんが聞こえたし、ユキオに共鳴した瞬間でもあった。ああそうだ、懐かしい曲を聞くとなんだが嬉しくなる……ユキオが笑顔を取り戻し、続けて「サザエさん」「アンパンマン」の各OPを演奏した檜はとどめとして「トトロ」の「さんぽ」を演奏するのである。思わず歌ってしまうユキオ、元気になるのも道理である、そういう曲なんだから。
さて、なんやかやがあって、とりあえずバンドを結成した三人は、まず何をやろうという段になって選んだ曲が「ドラゴンボール」だった。龍球をつかもうよと言う感じの例の曲である。思い出せるだろう、あの旋律を。毎週楽しみに読んでいた「ドラゴンボール」が「ドクタースランプ」に続きアニメ化された興奮。アクションしまくる悟空が実際に動いた感動。原作をさくさく消化して、このままじゃ連載に追いついちゃうよ? と不安がった日々。まあ、そんな個人的な感想はともかく、そのOP曲をバラード調で演奏しニコ動にアップしようという目標に向かうのが1巻のハイライトである。
ピアノの経験があるユキオだが、ギターの経験がない。素人同然の彼女が練習に練習を重ねる。ピアノ教室には親に行かされていた感じだったのが、ここでは自らやってみるという行動で曲を演奏する。その一環として、檜はユキオに「ドラゴンボール」のDVDを貸し与え、作品への理解を促すのである。
何故アニソンでなければならないのか? もちろん作者がアニソン大好きってのもあるし、そういう展開にするためのオタクキャラなわけだけれども、単なるコピーバンド物ではない力がここに備わっているのだ。前述した懐かしさを煽る効果でもあり、曲への理解を促す効果もあるのだ。
たとえば「のだめカンタービレ」で、のだめが曲の背景を勉強することに意味を見出せない場面がある。作曲家がどうやってその曲を作ったのかとか、そんなのどうでもいいでだろうという発想である。だが、指揮者である千秋は、作曲の背景を知ってこそ演奏への理解が深まると解説する。「青春★オノマトペ」にそこまでの意図があるかは知らんが、偶然にも、ユキオはドラゴンボールを視聴する体験によって幼き日のわくわく感を思い出すと同時に作品世界を研究し、曲への自分なりの理解を深めていくのである!
今後、この物語がどんな転がり方をするのかは全くわからない。打ち切りにあうかもしれないし、なんだかわからない終焉を迎えないとも限らない。だが、とりあえず作者がこの作品でどんな擬音を奏で、どんな色を付けるのか、そっと見守っていきたいと思う。
冬空をいま青く塗る画家羨(とも)し 中村草田男
(2012.1.30)
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