「白い恋人」
講談社「ストレンジ・ラブ」収載
田中ユキ
死ねと言ったら死なれたのだから恐ろしい。言うほうも言うほうだし、死ぬほうも死ぬほうですが、胸に霧散する気持ち悪さは両者の狂気が化学反応を起こしたのが原因でしょう。この読後感、名状し難いものがあります。
物語は青年の中学時代の逃れられない運命を青年自身に回顧させながら解き明かしていく構成。昔は白かったビニール袋という話からは想像できない展開は「ストレンジ・ラブ」の諸作品にも共通する奇妙振りです(「メスマライズ」はお愛嬌として、「PETS」は素直な展開ですな。他は奇をてらいすぎかな。「白い恋人」は荒削りだけど、読後の印象が他を圧倒しています)。
主人公・井上の妄想がほとんどあっち側(自分の内宇宙)にいっています。思春期なら誰もが抱くだろう、この自意識過剰な思考回路も、後の展開を思うと危ない。見ているだけで彼女について他人よりもずっとよく知っていると思い込む・・・いや、自分の思春期を振り返れば、それが普通でしょって思い出したくない己の思春期・・・。核となる二人の女性も、対照的である一方、井上同様に自意識過剰。この時期の青少年は、皆多かれ少なかれ精神を病んでいるようなものですから仕方ないにしても、収録されたほかの作品の影響のためか、描写の隅々にまで異常さが浸蝕しているのではないかと穿ってしまうのです。そこでできるだけ客観的に考えると、もっとも危ないのは小田原ということになりそうです。彼女が死ねといわれて死んだわけですが、ちょっと自殺の扱い方が甘いなと正直思う。また、これを書くに当たって、この作品を繰り返し読んだのですが、その度に井上の傲慢さが色濃くなっていくのです。初見は、なんだかわからんが西って女は鼻持ちならねーな、小田原も哀れだが、一生、ビニール袋に顔を包まれたごとく彼女に憑かれて他人との接触を阻まれた井上も哀れだな、と漠然といい加減に思いつつも、続く短編を読むうちに小田原の異常さが肥大して読み続けるのが辛く窒息しそうな気分だったところを「メスマライズ」に救われましたが、小田原の情念が私自身の過剰な意識によって実体化したようなそんな感覚で、彼女の立場になってみると井上の態度がなんだかしっくりこなくなってきました。小田原の本心はどこにあったのか? ということを妄想してみました。
まず、井上の主張は捨てます。わがままです、彼の言い分は。都合がよすぎます、自己弁護も甚だしい。小田原が何故自分に好意を持ったのか、それはやさしくされたからでしょう、劇中で明らかですね。普段いじめられている彼女に対し、たった一度とはいえやさしくしてくれた人を忘れるはずがない、というか彼女が好意を持って当たり前・命の恩人に等しいわけだから。真っ暗な日常に光を見つけた彼女が井上に近づき、井上の気持ちを知りつつも井上に誘われる。誘蛾灯みたいです。そのただひとつの光に犯されてしまうのだから・・・井上の「男にかまってもらえてうれしかった」云々というセリフを女性はどう思うんでしょうか。しかし作者は女性かもしれないから、この辺はどうでしょう、漫画と割り切っているのかな。小田原は教室で孤立している雰囲気がありますから、彼女には女友達さえなかったと思われますし、あの時彼女を助けたのが女性だったらその人に近づいたかも知れず、小田原の切なさを勝手に想像してしんみりしています。で、いきなり犯されながらも誘蛾灯の悲しさか、その後も井上と秘密の付き合いが続くわけですが、さて、井上が小田原に好意を意識し始めるように小田原のそれはどう発展したのかと考えますと、井上が西に告白を決意するに至る経緯と同じで、相手の気持ちを考えずに突っ走った挙句に「結婚して」と暴走してしまう、井上の西に対する思いと同じ結果が待っていた訳でして、しかし彼女には他に愚痴を言う相手もなにもなく、死ぬしか道はなかった・・・「そうか、井上君はこんな気持ちだったのか」と思い、後押しも受けて自殺・・・書いているうちにどんよりしてきたけれど、救いがない。
それだけに井上には反省してほしいのであります。授業中、西の後姿に陶然たるうつろな表情を見せる井上も、次には小田原の感触に夢心地、そして夕日に映える小田原の笑顔に本心を悟るも時遅し。償い半分後悔半分の後追い自殺が果たせるはずなく、井上の苦渋は理解できるものの、解せないのは自分に酔いしれているような態度なのです。小田原の気持ちは真っ正直なだけに、かっこつけたがる思春期の少年には辟易するところでしょうが、何もかも受け入れてくれた小田原を邪険にしたのは陳腐な自尊心ゆえかもしれません。西も同様ですね。自分の顔を捨ててまで井上に擦り寄った小田原も怖いと言えば怖いのですが、・・・いや結構怖いな、なんだかなにがどこまで狂っているのかすっかり麻痺してしまいます。
読む者の心さえ惑わす「白い恋人」にひそんでいる狂気は、すっとぼけた表情をしていながら一片のおかしみもない能面・ビニール袋を私の頭に被せて後ろに座っているらしいです・・・
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