「空色動画」1、2巻
講談社 シリウスコミックス
片山ユキヲ
パラパラ漫画だった。教科書の隅に棒人間を書き、一枚めくっては少し違う動作を描き違う動作を描き、黙々とそれを繰り返す。授業中にやっていれば、真剣に教科書に向き合う熱心に生徒に見える……そんなわけはないが、単純でも動いて見えたときの感激。そうした原体験を端緒に、片山ユキヲ「空色動画」は孤独な少女ヤスキチを軸とし、アニメを作る女子高生たちの青春を快活に切り取った物語である。
シンプルな設定とシンプルなストーリーラインを原体験のモチベーションだけで突っ切っていく力強さが何より素晴らしい。青春映画を観ているような快感がある。特に矢口史靖監督作品の青春映画のノリである。目的とか成長とかどうでもいい。とにかくジャズって楽しいよね! という「スウィングガールズ」のノリそのものだ。アニメって楽しいよね! この情熱が全て、とは言い過ぎかもしれないけれど、絵を描くことだけが生きがいのようなヤスキチにとって現実逃避の一手段だったかもしれないパラパラ漫画が、ある日帰国子女のジョンに見つかり、すげーおもしれーと漫画のモデルにされたノンタも加え、三人によるアニメ作りが始まるきっかけとなった。
多くの人が見たり描いたりしただろうパラパラ漫画を冒頭に持ってくることで、キャラクターのモチベーションは一気に読者の思い出に感応して湧き上がる。そして、ヤスキチが描くキャラクターが画面に現れると、彼女にとって逃げ場だったアニメの世界が、みんなを惹きつける想像力の世界に変貌する。ヤスキチが次々と生み出していく世界に興奮する同級生たちに、ジョンは「みんなでアニメをやろう」と叫んだのだ。やがて彼女たちの昂揚感は文化祭で自分らで作ったアニメをみんなに見せよう! という目的を獲得することにより、一直線に進むのである。
でもおそらく多分、アニメに魅せられた彼女たちにとってその目的すら通過点に過ぎないに違いない。2巻の段階では文化祭で上映直前というところまで物語は進んでいるが、それによって巻き起こるすったもんだは当然あるだろうし、目的を果たしたからといってアニメ作りの情熱が失われるわけではないからだ。青春物のお約束展開(仲間との絆の亀裂と回復、そしてみんなが協力する!)を踏みつつ、アニメが形になっていく臨場感……というよりもこの漫画のノリで言うならライブ感がひしひしと伝わってくる。
想像力を解き放った彼女たちは、それがアニメによって現実になる喜びを体験した。画面にしばしば描かれる自分たちをキャラクター化した絵が、実際に彼女たちそのそもの姿となって描写され、現実狭しと暴れまくる。現実からアニメに飛躍し、それを再びアニメとして鑑賞する経験により、彼女たちの作ったキャラクターは、今ここで動いているような錯覚さえ起こすかもしれない。
そんな積み重ねが鳥肌物の興奮となって私を魅了したのが2巻44〜46頁だった。
夏祭りにやってきた三人は、「走馬灯の夕べ」という催しに吸い寄せられる。走馬灯に照らされた光、筒状の和紙に描かれた模様や絵、アニメを思い浮かべる光景にジョンは自分たちも作りたいと勢い込んで尼さんを説得し、各々のキャラクターを描き込んだ走馬灯を作ると早速、灯を入れた。動き出す影絵。さらに室内の明かりを落とすと、影絵が部屋の壁にまで映りこみ、彼女たちの周囲に巨大な影絵を作るのだ。
「私らがアニメになったみたい!」というジョンのセリフが全てを説明している。これまで想像の世界の住人だったキャラクターたちが影絵となって三人の周りを走っているような錯覚、いやこれは現実なのだ。想像するしかなかった世界が現実の世界に舞い降りたのだ。自分たちも影となり、壁に映ったキャラクターと一緒に動き回る。彼女たちにとってはじめてのアニメ上映とも言えるこの場面を超える興奮が待っているだろう文化祭が待ち遠しくてたまらなくなる。
廻り灯籠めぐりのはての色世界 小林康治
彼女たちの想像した世界に物語はどんな色を添えるのか。3巻が楽しみすぎる。
(2008.10.14)
戻る