「素っ頓狂な花」

小学館 IKKICOMIX

武嶌波



 いつも一緒に登校していた幼馴染が、自分とは違う趣味を持ち、遊ぶこともなくなり、だけど、いつまでも幼馴染という呪縛みたいなものだけが残っていて、お互い顔は合わせるけれども、「おっす……」とどこかぎこちない挨拶をしてしまう。親同士はいつまでも仲良く遊んでいると思っているから、最近の様子を聞かれても、まあまあと口を濁すだけ。真面目だけが取り柄の私には、青春を謳歌している幼馴染に、どこかで苛立ち、なんだかわからないけれども焦燥感だが募っていて、器用に生きているなあと、なんだかどうでもよくなっていく。ひょっとしたら幼馴染と思っているのは私だけで、彼は、私のことをたまたま近所に住んでいた同学年の奴、程度にしか見ていなかったのかもしれないと卑屈になることだってあった。
 武嶌波の短編集「素っ頓狂な花」の表題作は、親友との交流を通して浮かび上がってくる本当の自分の気持ちに気付く少女の物語である。憧れているらしい国語の教師・加藤に惹かれて入ったと思われる文芸部で、彼女は「かげがえのないもの」という作文コンクールのお題を課せられる。
 少女・頓花恵(とんかめぐみ)とユリエは、親も認める親友である。容姿端麗で彼氏も最近出来て、要領よく加藤に褒められて……。物語冒頭から、ユリエに対する恵の劣等感が少しずつ描かれていく過程は、とても残酷である。なにと比べても見劣りしていることに一つ一つ気付かされていくのだから、恵が自己否定の隘路にはまり込んでしまうのは、少し痛々しくもあった。「親友」をテーマに選んだ結果、自分にとってユリエがどんな存在なのかを、改めて痛感してしまうのだから無理もないだろう。
 傍から見れば、彼女とユリエは自他共に認め合う親友のはずだ。加藤先生からも、テーマを伝えると、すぐにユリエのことだねと容易に言い当てられるし、ユリエ自身、恵とは親友であると自覚しているようだ。しかし、恵自身が本当にユリエのことをどう思っているのか・劣等感の正体が詳らかになったとき、途端に彼女の顔が霞んでしまった。
 読んでいた私は、この時彼女がどんな表情で親友の失態を聞いたのか半ば予想できていた。それは、この作品の展開とか構成とかから予測できた物語だったからではなく、読み進めてすぐに、私は幼馴染の彼のことを思い出しながら読んでいたからである。要領よく立ち回っているように見えた彼に対し、私は少なからず、恵のような劣等感を抱いていた。スポーツや運動など、比べるものはいくらでもあり、そのどれをとっても、私が彼に敵うものはないような気がしてくるほどだった。長じて疎遠になったとはいえ、ほとんど毎日のように顔を合わせていた私には、彼がいつからどう変わっていったのか判断が付かないし、いつからどうでもよくなってしまったのかもわからないけれども、少なくとも一人でライバル視し、勝った負けたと煩悶していた頃は、確かに幼馴染の彼は、恵にとってのユリエのような存在だったと思う。
 劣等感と優越感の綱引きが、恵の中で起きていたユリエへの想いだったのではないか。恵にほとんど同化していた私が、ユリエに対する本心を知る場面は、かつての私を見る思いだったし、だからこそ親友の存在を大事に感じるのも、切々と伝わってきた。無難にまとめた作文を丸めて捨てた彼女は、自分自身も丸めて捨ててしまい、ユリエなんかどうでもよくなっていきかけていたが、自身の偽らざる本心を悟って書いた文章を、加藤先生は「よく頑張りました」と言って頭をなでるのだ。
 この短編集でもっとも多くのエピソードを割かれて描かれているのが加藤とその恋人である。日々のあれこれをあっけらかんと描いたいくつかの短編の影響もあって、彼が恵に接する態度に、単なる先生と生徒という関係だけを見出せない作用が働いている。収録順に読めばそのような先入観を排して読むことが出来るけれども、表題作に続く加藤と恋人の物語を読んでしまうと、「よく頑張りました」の場面が、もっと別の意味に見えてくるものの、実は結構単純だったりする。
 よくよく読んでみれば、恵のモノローグから成り立っている物語とはいえ、同じ部に属するユリエが何を書いているのかに全く触れられていないのが不思議だった。ユリエは部の活動中たびたび加藤に呼ばれて作文のことだろうか、なにやら指導を受けているし、良い点を指摘されてもいるらしい。それもこれも、ユリエがきれいだからだ……恵は、ユリエの容貌しか見ていなかったのである。
 ユリエが恵の内面を指摘する場面がいくつかある。字がきれいでうらやましいとか、加藤と恋人が一緒にいる姿を目撃して恵を気遣ったりと、おそらく内面の優劣がユリエにとって恵に対する劣等感だったのだろう。それこそ、加藤に褒められたかつての恵、という出来事そのものも。
 加藤は表に出てきた文章でしか評価し得ない立場である。エステティシャンになりたいとかネイリストになりたいとか、外面ばかりを気にしている恵の文章が加藤に届くはずもない。だから、何を考えているのかが先生には伝わらない。構成がひどい、というような文章の外面しか評価のしようがなかった。だからこそ、ユリエにうそをついていたと書かれた文章は、ようやくユリエの内面だけでなく自分の内面にも目を向けた作文として、文章の巧拙ではなく、その姿勢が「よく頑張りました」と評価されたのだ。
 恵とユリエがその後どういう関係を歩んでいくのかは定かではないが、私は、幼馴染の彼と高校卒業後に完全に疎遠となり、数年後に一回会ったものの、その後、幼馴染の彼とはもう十数年以上も、会ってはいない。
(2009.2.16)

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