トマトスープ「天幕のジャードゥーガル」1〜5巻

ナレーションから仄見える情動と「原論」の行方

秋田書店 ボニータコミックス


 いよいよ役者が揃ったって感じだね。
 モンゴル帝国第2代皇帝オゴデイの死後、実権を握ったドレゲネと彼女に仕えたファーティマを主人公に据えたトマトスープ「天幕のジャードゥーガル」もいよいよ5巻目にいたり、多くのキャラクターが登場し、物語の大きなうねりとなり激動の時期ともなるドレゲネ称制期の展開に様々な布石がはっきりと打たれるようになった。
 この時代の歴史に疎い私には、物語の全てが新鮮で先の読めない展開ではあるのだが、登場するキャラクターをネットで調べればすぐに、その生涯を知ることができ、なるほど、この時点であのキャラクターが登場し、ああいった役割を担われるのか、と次々と作者が繰り出す歴史物の醍醐味に感動しっぱなしなのだが、5巻では、これまで穏やかで淡々と歴史解説を中心にしていたナレーションやファーティマのモノローグで構成されていた流れに、なにやら作者の感情を感じたのである。
 ドレゲネの息子・グユクと西方・ペルシアに帰還するコルグズに、それぞれ彼らを覚えておいて欲しいと、読者に語りかけるのである。
 もちろん、モンゴル帝国史を紐解けば、グユクが第3代皇帝となることは周知であるし、コルグズもしかり、ペルシア総督府の総督になることは調べればすぐに分かることだ(個人的にはコルグズの次にペルシア総督となるアルグンだが、彼の想い人がペルシアに連れて行かれる展開に、奇跡の再会あるか?と期待している)。
 そんな歴史のもしもを想像力たくましく、可愛らしいキャラクター造形からは想起できない腹黒く血なまぐさい闘争の色彩が段々とゆっくり広がっていく物語の一方で、ナレーションだけは真摯に始めから残酷だった。
 1巻第1話からして、それは表れていた。ファーティマ(シタラ)は奴隷として引き取られた先で、後に高名な学者となる少年と、何か劇的な物語が始まるかと思われるような出会いを描いたと思いきや、ラストで「二人が顔を合わせたのは 生涯これが最後となる」と語られるのである。
 実は、これから始まる物語は幼い男女が後年、再会して云々ではなく、もっともっと残酷な運命が待ち受けている、という宣言。少年が後にイル・ハン国に仕える学者であることから、ここでアルグンとの関係がひょっとしたら……そしてアルグンから語られるファーティマの物語を、少年は聞くことになるのだろうか? という妄想が刺激される。
 あるいは3巻、トルイの死によりモンゴル帝国の王族たちの力関係の変化を作者はこう表現した。「歪なまま 保たれていた 帝国の力関係が トルイの死で 大きく動いた ということ」。玉座に鎮座したオゴデイと第一妃のボラクチンが、力関係の動きの鍵を握っていることを印象付けるように、コマいっぱいに描かれた。オゴデイのほんわかした表情からは窺いしれない深謀遠慮と、それを影から支援しようと知恵で奔走するボラクチンの自信に満ちた佇まいとは別に、「ということ」という体言止めが、作者の余情を感じさせるのである。
 あるいは4巻収載の第26話のラスト、色恋沙汰とは無縁の物語と思いきや「ときどき 意外なところから 起こるものである」と、帝国を揺るがすことになる大事件を嵐に例えつつ、イルチダイの不義を描くのである。ここにも、歴史のちょっとしたいたずら心とでもいおうか、面白さを楽しそうに語る作者の笑顔を勝手に妄想してしまうのだ。
 もっとも、ここでファーティマはアルグンにつながりのあるペルシアに連れていかれたオイラト族の女性に秘密を漏らしてしまう。アルグンのドレゲネ称制期の活動を鑑みるに、奇跡の再会はファーティマにとっては最悪の結果をもたらさないとも限らないのだが、そういったその後の展開予想も楽しいものである。
 さてしかし、ナレーションと作者の感情をテーマに筆を運びながらも、マンガの演出として心惹かれる場面だって当然あるので触れておこう。2巻ラスト、ドレゲネの天幕から外に出たファーティマが、暗闇に向かって歩いていく場面の彼女の強さであり、4巻138頁、彼女と約束をして別れたアルグンが、暗闇に向かって歩いていく後ろ姿なのである。モンゴルの平原が果たしなく続く中にあって、それでも暗闇は全てを覆い隠してしまう。「私の人生は もしかしたら 光に満ちているのかもしれない…」と思った直後に侵攻したトルイ率いるモンゴル軍に捕らえられたファーティマ(シタラ)のように、未来には何が起きるのか何もわからないことを、5巻ではクチュの急死という形で多くの読者が体感したことだろう。力強い言葉とともに、キャラクターたちが突き進む暗い未来に、どんな物語が輝くのか。
 ひとつ面白い話を紹介しよう。
 3巻166頁。トルイの死後、憔悴したソルコクタニ・ベキは、ボラクチンに多くの本を持っていかれる、エウクレイデスの「原論」もその一つだった。幼子が訪ねる、「あの本… 「原論」 父上が母上のためにペルシアから持ち帰った本なんでしょ?」
 この子は、おそらくは後にモンゴル帝国第5代皇帝・アリクブケだろうか、歳の割に幼く見えるが、彼の兄であり、やはり後に第4代皇帝となるモンケは、「原論」を読んでいくつかの問題を解いたといわれている。そして、モンゴル帝国の歴史を遺したラシード・ウッディーンの「集史」には、こんな逸話も書かれていた。
 モンケは、宮廷内で天文台の建設を命令したが、側近たちには理解できず建設は難航した。モンケは当時、噂に聞く西アジアで高名な学者の存在に注目する。ナスィールッディーン・トゥースィー。物語の冒頭でファーティマ(シタラ)が出会った少年の、後の名である。
 ナスィールッディーン・トゥースィー(Nasir al-Din al-Tusi, 1201〜1274年)は、ペルシアの天文学者・数学者として当時すでに著名であり、モンケの弟フレグ(イル・ハン国の祖)の配下に置かれていた。モンケは彼をカラコルムの宮廷に招いて西方の天文学知識を伝えさせようとしたが、まもなく急死。結果的にトゥースィーは、フレグの下でマラーガ天文台を建設し、後世にその名を残したのである。
 天文台建設の際に「原論」の幾何学を応用するため、自ら「原論」の校訂本を編纂したという。イスラム世界ではもちろんモンゴル帝国内でも、校訂本「原論」は広く流布し、知識の伝播に大いに役立つこととなったのである。
 ひょっとしたら物語の最後でトゥースィーが登場し、ファーティマが帝国への「怒り」を表明して抱えていた「原論」を、まさにその「原論」を抱えながらトゥースィーが再登場し、今度は「怒り」ではない別のナレーションを、作者は感情をこめて、添えるのかもしれない。

参考文献:「Life and activity of Nasir al-Din al-Tusi」
https://www.researchgate.net/publication/347598996_Life_and_activity_of_Nasir_al-Din_al-Tusi#:~:text=p,whom%20he%20entrusted%20with%20this
※リンク先を自動翻訳して参考にしました。

(2025.4.14)
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