「海辺へ行く道 夏」

エンターブレイン ビームコミックス

三好銀



 海辺の町のある夏を中学生の奏介を中心に描いた連作集が、三好銀「海辺へ行く道 夏」である。
 作者の名前は初めて聞いた。書店でもうひとつの短編集「いるのにいない日曜日」と並んでいた本だったが、表紙に惹かれて購入したのはこちらだった。さて、今読み終えて、もう一冊も買わなければならないと決めたわけだが、まずこの本の感想に触れたい。
 数が少ないものの、いくつかの感想をネットで読んでみたところ、何も事件の起きないある夏を描いた不思議・変な物語とまとめるのが相応しいようだし、私もそのように感じている。だが、これらの短編群を読んでみると、どれも何かが起きそうで起きないままに不可解な点を残しつつ、あっさりと次の挿話に進んでしまうという、何か突き放された冷たさをじっとりと肌に感じ続けてもいた。なんか気持ち悪い読後感というと聞こえは悪いが、決して貶しているつもりは無い。むしろ言葉にならない作品の面白さを精一杯文字に起こそうと挌闘していると解釈して欲しい。
 この連作を奇妙な気配に誘う原動力が最初の短編である「遅いランチタイム」である。A氏という美術関係者の家で過ごす若い女性の和香子と、ボディガードと称して和香子のパートナーに依頼されて来たらしい沢田という青年の平凡な日々である。昔のように絵を描いてほしいと彼女に気分転換か創作意欲の刺激を期待したのか、A氏の言葉通り居たいだけ居続ける彼女はのんびりと夏の日差しを避けて過ごしている。海辺で売られているランチを沢田が買い、和香子が食べるというだけの毎日の中、ランチを売る初老と思しき女性や、郵便配達夫の青年とのぎこちない会話がカットバックされる。彼らの会話には、どこかしら感情が込められていないような気がして、私は読み始めてすぐに変な気分になっていたわけだが、なんと言うか、どのキャラクターも生きている感じがしないと私は感じたのである。キャラが立っていないとかキャラクター性がどうとかいうことではない。ただ、どれも人形のような造形で、平たく言えば、瞬きをしない人たちばかり、という印象なのである。そういう絵なのかもしれないと言われればそれまでだが、和香子がパンを食べる「すっごくおいしい」という表情が全然おいしそうに見えなかった、沢田がこっそり投稿していた短歌を和香子に見られそうになって恥ずかしげに頬を赤く染めている斜線とか、なんだかとてもわざとらしいように読めてしまう。そんな、生気はあるけど温かみのほとんどないキャラクターの言葉は、いくら伏線めいた発言を積み重ねて物語を推し進めても、すぐに冷えて澱んで停滞してしまうのである。だから、何か起きそうで何も起きないような感覚になっていくと、町で催されている「静か踊り」という模様が描かれて、最初の印象が決定的となってしまう。
 気持ち悪い。
 踊っている間は笑顔で・でも歯を見せて笑ってはいけないという決まりがある祭りで踊る人々がほぼ見開きで顔に焦点が当てられて描かれるわけだが、何か変だぞ、この町……とキャラクターに感じた思いが舞台となっている町に一気に拡散していくのである。この感覚は、次の挿話となる「回文横丁」で強化されると、もうひたすら居心地の悪さにべたべたと余韻を舐め回されているような訳のわからなさに突入していく。
 「回文横丁」から主人公と言える奏介が登場するが、彼は手提げ袋を拾ったという女性が入院する病院に出掛けるものの、病院のある町の一角は家々・道々が入り組んで容易に迷ってしまうほどなのだが、回文を呟くとその横丁から通り抜けられるというのである。
 以降、物語は不思議とも奇妙とも言い難い意味がありそうでない・なさそうである町の姿・キャラクターたちの言動を炙り出していく。一見物語を駆動する伏線と思われたセリフが、放り出されたままになっていたり、ひょっとしてこの出来事は前回・前々回とこう繋がっているのかという発見があったとしても、それを検証する材料が揃わなかったりと、事件は確実に起きているんだけど、いや、きっと起きているはずだ……いや待てよ、そもそも何も始まっていないのではないか……ていうか意味わかんねーという読後感に一話読み終わるたびに支配されていくと、最後にはもうなんでもあり、何が起きても驚かない自分がいて、ついつい再読してしまう吸引力を本作は備えているのだ。
 そんな不可解さを抱えている物語と言っていいのかわからない展開の中で、唯一、劇中で一つの筋を通しているのが、奏介の家で飼われている黒猫である。家を出たっきり戻らない「バカ猫」は、しばしば家に戻った形跡を付けながらも、その姿を奏介たちの前には現さない。ある時、彼は目撃情報を聞いて海辺に出掛けて呼びかける、「ねこォー」と。名前がないらしい。
 この連作には当初から記号で呼ばれているキャラクターがいた。A氏である。A氏は冒頭で登場したっきり、回想場面で出はするものの、その後ぷっつりと姿を消す。物語上の名目では用事でひと月くらい家を留守にするという設定であるものの、髭をそったらそっくりなキャラクターが中盤の「夏休み新聞」で出てきたり、奏介の会話の中で名前が挙げられたり、最終話である「残暑物語」で電話の声だけ登場したりと、なんだかどこかに出掛けているという気配が薄いのである。いないようでいる、いるようでいない。劇中の猫にそっくりなのだ。登場すればするほど冷たさを増していき多くのキャラクターが存在感をあやふやにしていく中で、A氏と猫だけは、軸を持ったキャラクターとして、作品世界を薄暗く覆っているような気がする。
(2010.2.15)

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