「アンダーカレント」

講談社 アフタヌーンKCDX

豊田徹也



 ジャズの名盤「undercurrent」の水面下に漂う女性という絵の美しさが惹かれるジャケットに刺激されたと思われる豊田徹也の作品が「アンダーカレント」である。同名のアメリカ映画や、銭湯の女主人を主人公にしたUA主演の映画「水の女」など、多くの映画を意識しているだろうこの作品は、非常に緻密な計算の元に構成された、マンガの名品とでもいえる物語である。地味な題材を扱いつつミステリアスな展開を予感させながら日常描写を重ねる技量と、ほどよいユーモアも忘れない演出力は絶賛に値しよう。
 主人公は銭湯を継いだ関口かなえ。2か月前に銭湯組合の旅行先で夫が失踪、休業状態だったが営業を再開し、それにともなって組合の紹介で一人の技師を雇うことになる。堀と名乗る男は、控えめで真面目に仕事をこなし、営業も滞ることなく順調に思えたが、かなえには夫の失踪の謎という悩みと他人には明かせない傷を抱えおり、不安定な精神状態は徐々に綻びていた――
 物語を引っ張るのは夫の行方と得体の知れない堀という男、そしてかなえがよく見るという夢である。これらは全て山場において見事な結実を見せるのだが、そこまでの道程は地味な画風ゆえに平坦に思えるものの、細部にさまざまな仕掛けを施すことで、読者のさまざまな期待感を維持し煽ることに成功している。物語的には、夫の行方を捜索する探偵の登場で夫の正体が明らかになっていく点と、かなえの心の傷が何なのか・幼少期の記憶がよみがえってくる点によって盛り上がりを図る。一方で、堀の正体は最後の最後で明かされるものの、ただ彼の言動が淡々と描写される、さながらハードボイルド風の演出で、彼がそのとき何を考えていたのかは読者に委ねられており、ラストまでそれは貫かれている。しかし、彼の存在感は当初こそ謎めいているものの、主人公や脇役が親しさを表していくことで、読者にとってもいい印象を与えている。そして、その印象は裏切られることはなく、静かな感動を、その男の背中に見ることだろう。
 さて、謎だのミステリだのと言っているように、ネタバレしにくい作品なので、あらすじは端折って演出力と細部の工夫を紹介したい。
 まず映画的と点。映画のカメラワークのような構成が読者の意識を自然に制御している。かなえが夫の失踪を具体的に説明する場面、友人の菅野(よう子。「水の女」の音楽も菅野よう子)と喫茶店でそれを話すのだが、かなえの視線の動きが素晴らしい。再会に感激する二人だが、話が夫に及んだところでかなえは俯き気味になる。ここと交錯させる形で仕事をする堀と銭湯の手伝いをしてくれるおばさんの会話が入り、かなえの説明を省略して菅野の驚く顔から再び二人の会話が始まる。堀とおばさんの表情との落差が菅野のそれを引き立てる(基本的に豊田氏の絵はとても淡白で人物の表情はかなり抑制されている)。失踪直後のかなえの姿を描き、そこにまた堀に失踪のことを説明するおばさんをカットバック、当時の状況を語るおばさんと当時の心境を語るかなえにより、事の輪郭が明瞭になっていく。そして終始視線が定まらなかったかなえの視線は、コマの雰囲気にも暗い影を落とすが、彼女が顔を上げて窓の外を眺めると次のコマには下から見上げた構図の電柱が描かれる。誰かに話すことで幾分晴れただろう彼女の気持ちが、彼女の視線を追うコマに投影される、そして画面も外に移動することで、意識が開放されもするし、場面転換も容易になり、二人は喫茶店の外で会話を続ける。コマの構成は単調だが、それにより物語の安定感を得、また丁寧な印象あるいは地味な印象を与える。かわりにコマの中の台詞の量・ふきだしの大きさで人物の閉塞感を演出し、また斜めに人物を描くことで変化や不安定を醸し出している。
 台詞の量、これがまた間を生んでもいる。同じ構図の絵を二つ並べて、1つ目のコマには台詞があって、次にはない。これだけで2つ目のコマに沈黙が生じる。この使い方が長けていて、深刻な状況であったり、ちょっとしたユーモアであったりとどちらにも応用して読む旋律に変化を生んでいる。
 もう一例は225頁の2コマ目のカットである。終盤のわずかひとコマだが、極めて大きな意味を持っている。既読の方も同意していただけるだろうと思われるこのコマだけで、かなえの幼少期の記憶・彼女の正体不明の夢・水にこだわり続けていた描写がいっぺんに集約した瞬間でもある。このための水へのこだわりだったのかと思わせるコマである。物語の骨格に関わるので未読の方のためにどんなコマかは説明できないが、恐ろしい場面である。恐ろしさを煽るのは前後のかなえの表情が描かれたコマである。同じ構図が2つ、前述の応用例である。1コマ目が「フーッ」と息を吐くかなえのうつろな表情は右端で左に大きな空間は、彼女の嘆息に埋まっているような錯覚がある。2コマ目が先述のカットで3コマ目が同じ構図で無音、左に大きく開いた空間は彼女の息で凍ったような・張り付いてしまったかのような瞬間で、読者も彼女の心情に吸い寄せられる。薄く開いた目が現実を見ていないこともわかる。沈黙の使い方の上手さからも、作者の台詞回しの妙が味わえる。
 彼女の目だけでなく全ての登場人物の目、これもこの作者の作品を読み解く上で無視できない。そもそも表情が淡白な要因でもある目の描写だけに、何を考えているかわからない感もあり、抑制された表情は、かえって冷たい印象を与えるかもしれないが、表情の描写が目によるところが大きいのもまた面白い。物語にうねりをもたらす二人の登場人物・夫の行方を解き明かす探偵と堀の正体を察するサブ爺の表情がサングラスによって隠されているのは偶然ではあるまい。
 物語の細部についても映像感覚がうかがえる。22頁下段のコマ、深夜浴場を掃除するかなえ、窓から見える欠けた月。これは252頁下段、同じく深夜掃除をする堀、窓から見える満月と通じている。月が何の暗喩かは各々の想像に任せ、どちらも孤独さを表現しつつ、月によって両者の心境の差を描いているところが憎い演出だ。また第5話冒頭で町内を散歩する堀が行き着いた場所の意味がラストで明らかになるのも再読の契機になり上手いなー。観覧車で双眼鏡持ってる探偵とかね、なかなか細かい伏線も欠かさない。
 あぁ、そして水の表現である(もちろんタイトルの影響でもあるんだけど)。この作品の影の主役とも言える水、正確には水面の描写だが、常に自分によって・自分が水に沈むことで波打っていた水面が、中盤の山中の印象深い場面で、堀によって波紋が作られると、彼女の沈んでいく夢は現実的な絵になっていく。それは彼女の幼少期の記憶とやがて重なってしまうが、そこを乗り越えることで、次は風によって波打つ・海の描写へと変化する。
 彼女はあの夢を見ることはもうないだろう。そして私は、彼女の未来を夢見て、微笑むのだ。

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