「ヴィンランド・サガ」第4巻

講談社 アフタヌーンKC

幸村誠



「不気味の谷」という現象がある。詳しいことは検索していただくとして、簡単に言えばロボット工学なんかで人間の動作・表情をするロボットの動きが人間に近づく時、ある点を境にそれらの動きに不気味さを覚えるとかいうもので、CGのようなリアルな描写を追求したところでも、あるときにゾンビみたいに気持ち悪い絵になるといった具体例もあるようだ。マンガとは無関係とも言えない話なんだけど、では実際にそういう気味の悪さを感じたことってあるかと問われると、実はあったりするんである。
 幸村誠「ヴィンランド・サガ」は、11世紀に活躍したヴァイキングを描いている物語である。現在(2007年6月)、単行本は4巻まで出ているが、この4巻目、主人公の少年・トルフィンが加わるヴァイキングの一集団が行軍中、猛吹雪にあって進軍ままならず、たまたま見つけた小さな邑を襲撃・虐殺し食料を奪い、ひと冬凌ごうという話がある。村人の少女が偶然にも難を逃れてその模様・家族が殺される現場を「ドキドキ」しながら目撃してしまう、この少女の描写に、私は不気味の谷を見たのである。
 何故少女にそんなことを感じたのかと1巻からざっと読み返してみたのだが、それと似たような描写はいくつもあった。その描写とは、登場人物のマンガ的な顔(あまり写実的に描かず、目鼻立ちなどを少ない線で処理し、アップになっても皺を微細に描き込まない)に対し、他の身体の部所を精緻に描く例である。わかりやすいのが手の描写だ。
 たとえば、幼きトルフィンが短剣を見つけて刃の輝きに見惚れる場面で、それで誰を殺すつもりだと短剣を掴み取る父の手が登場する。子どもの白い手に対し、父の手甲には血管が浮かび上がり、精悍ささえ漂う皺とも影ともいえない細かな線が入っている。その後父のアップになっても、この手の迫力にして父の表情の凄味が描かれた。あるいはトルケルというトルフィンと格闘し手を負傷し指を2本失った大男がいる。彼は戦場でトルフィンに再会した場面で、その負傷した手を突き出して「お前トルフィンだろ」と陽気に語りかける。傷だらけの手の平が大きく描かれ、その欠けた指だけで誰がやってきたかわかるわけだが、その後、少し剽軽にも見える長い顔が描かれ、「やっぱりトルフィンだ」と登場するが、その手の持ち主がトルケルという大男であることに違和は全くない。
 さてしかし、件の場面における少女である。少女・アンは市場で指輪を盗んでしまう罪を犯していた。キリスト教徒である家族、悪いことをすれば地獄に落ちるぞと力説する父、怯えた少女は用を足しにと外に飛び出し、大木のくぼみに隠していた指輪を取り出す。少女には若さゆえに皺なんて描かれない。寒さで頬は赤いけれども、基本的に白い顔だ。だが、指輪をはめたその手は、寒さに耐えるべく鍛えられたのか・度重なる霜焼のためか、ひどく皺々で手の甲こそ多少は白いけれども、指に至ってはカサカサした関節やボロボロそうな爪が描かれており、とてもじゃないけど、この手の持ち主が少女の白い顔と結びつかないのである。あまりにもリアル過ぎるのである。
 男の手と顔には覚えなかった違和を何故少女に覚えたのか。私個人の感覚に過ぎないけれども、ちょっと考えてみると、ここで「萌えの山」という言葉をふと思い出した。ここ(セキュリティ&コンサドーレ札幌 「不気味の谷」と「萌えの山」)とか、ここ(ばブログ 「不気味の谷」)とか、ここ(たまごまごごはん マネキンやロボットは「作り物」な方がいい。)なんかが触れている「萌えの山」(あるいは「萌えの谷」。「不気味の谷」の対義語として捉えるなら「萌えの山」のほうがしっくりくる)という言葉。私が少女の手を気味悪く感じたのも、少女の顔の萌えとの落差のためではないかと思ったのである。
 一方でこんな考え(FIFTH EDITION -不気味の谷現象)もある。曰く「男はリアルに書いても、オッケーなんですけどねー。女をリアルに書くと、多くの場合、「不気味の谷」現象になるだけなんすよ。特に顔とか顔とか顔とか。身体はまだしも、顔はとにかくヤバイ。」。
 劇画でも男性女性問わずリアルに描く作家はいるし、例を挙げるまでもなく、それらの女性は、現実には美人なのかもしれないけど、少なくとも描かれている顔そのものはおよそかわいくないし、萌えないし、なんか気持ち悪い。男性の顔はそんなこと感じないんだが、それは私が男だからか? それはともかく、少女アンが極寒で暮らしているためにあのような手になったのはわかる。顔までリアルに描けば、画力とかの話以前にかわいく描けないという判断がなされていたとすれば、知らず作者は不気味の谷を避けて顔を描いたことになるかもしれない。幸村誠の女性の絵に萌えるかどうかは置いといて。
 もっとも、アンの手の描写は、血まみれの斧を振り上げる男の手との比較として考えても十分成立する。貧しい暮らしだろう村人の手と、略奪凌辱し放題の彼等の手。どちらがきれいに描かれているかと言えば、後者である。アンの父の手も皺々だ。爺さんは顔まで皺くちゃである。彼等に従っているクヌート王子は女性みたいな顔立ちで、多分手もきれいだろうと思われる。答えはわからなかったけど、今後、彼等登場人物の手がどう描かれていくかを見詰めれば、ひょっとしたらわかるかもしれない。
(2007.6.11)
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