思春期の煩悩は黒髪ロングに淀む
谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」
スクウェア・エニックス ガンガンコミックスオンライン 1〜2巻
谷川ニコ
女性の容姿の特徴の捉え方として、髪型が挙げられる。たとえば、ある女子高生の容姿を第三者に伝えようとした場合、それはショートなのかロングなのかが重要視される。ショートならば活発な女性を・ロングならば清純な女性を各々想起するとしたら、それは極めて正しい反応といえよう。ステレオタイプは想像力を補う上で重要なキーワードになりえるからである。
マンガのキャラクターならば、ある程度の典型にのっとったキャラクター造形が一つの面白みとなる。黒髪ロングの女性キャラクターであるならば、読者の期待をいい意味で裏切る性格を付け加えることで奥行きが生まれるだろう。ツンデレ、ヤンデレといった見た目とのギャップをひとつの面白さとして作り上げる例が示すように、私たち読者は、現実世界の他人に抱く第一印象と同じような、外見から予期される性質とは大きく異なる態度に、ときめく・つまり萌えることがある。
モテない女子高生の日常を描いた、谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」の主人公である黒木智子はどうだろうか。彼女は高校一年生で黒髪ロング、背はかなり低く、地味で目立たず、何より物静かな感じだ。他人とつるむこともなく、一人で泰然としている。顔の造形も特別に不細工というわけではないし、ぼさっとした前髪からのぞく片目はどこか怯えているような印象さえある。
しかし、劇中の彼女は、見た目の印象は大きく異なるオタク趣味を持ちながらも、ときめくところが一つもない。むしろ一つもない点にときめくことさえあるのではないかと思うほど、彼女は絶望的に対話を苦手としている。担任の教師に下校時に挨拶されただけで挙動不審になってしまうほど、強すぎる自意識によって彼女の意思は外界から拒絶されているのだ。ギャグマンガとして過剰な演出を施されているとはいえ、黒髪ロングの持ち主がこのような設定に晒されているのは、いささか不満がないわけでもないが、時折見せる素の表情が意外といい顔で描かれるところから、作者の主人公に対する偏愛が垣間見える。もちろんこの作品がモテない男子高校生の妄想を女子高生に託した、ゆがんだ作品である点は十分に理解している(生理ネタはいつか来るのか?)。彼女なりのモテる努力はどれも笑い飛ばされるだろうし、いつ彼女が出来てもおかしくない弟が恋人を自室に招いてきゃっきゃうふふする隣の部屋から漏れる声に興奮する彼女の姿も容易に想像できよう。このままずっと報われることのない一人ぼっちの高校生活は、きっと多くの読者の自虐的な笑いを誘うことだろうし、二巻まで出た現時点でも、存分に彼女のソロプレイを楽しめる。
では、彼女の劇中の惨めな姿は、何によって強調されているだろうか? それが黒髪ロングなのである。
彼女の長い髪は時にアップにされ、ブスな表情を作りあるいは見せるために機能しているが、それはほんの一例に過ぎない。彼女を彼女たらしめている大きな特徴が、目の描写なのは言うまでもない。
一読しただけでも、彼女の豊かな目の表情にマンガ表現の一端に触れることが出来るだろう。大きく描かれた伏せがちの無表情めいた目は暗い性格の印象を与えるが、同じような描かれ方でも周囲の環境を変えることでで全く異なる印象を与えてしまう点を読み取ることが出来る。典型的な例としては2巻の裏表紙の「理想」と「現実」の写真だろう。
理想の、親友と思しき二人の女性の間に挟まれ無表情、慣れないピースサイン、正面を向けない気恥ずかしさに「ちょー天然」の端的な説明文。一方の現実は、集合写真の右上に別枠で囲まれた彼女の同じような無表情な視線と顔である。同じ顔に同じ髪型・同じ服装。何が二つを分け隔てているのか。正面を向いているか否かは些細な違いに過ぎない。
全編を通して彼女を悩ませているのが、自分はブスなのかそうでないのかが判断できないという点である。その主要因が、目の魅力を減じている目のクマであることは彼女も理解しているが、どうしたらいいのかわからない。実際、彼女のクマが描写されないときの彼女の表情は、それほどブスとして描かれず、普通の女の子然として劇中で動く。弟との会話の自然さに自分の容姿に対する劣等感は感じられない。他人との対面を意識すればするほど、彼女の目のクマはどんよりとコミュニケーションを阻害し、声は小さく怯えてしまう。彼女にとって目のクマは、自信のなさの象徴ともいえよう。自分が「美人」に見えてしまった挿話では、目のクマは頬の赤みのような描写をされていることからも、彼女の顔の描かれ方は見事に制御されているのだ。
さてしかし、単にクマを付ければ彼女のモテない生活がギャグとして成立するわけではない。もう一度言おう、彼女の惨めさは、黒髪ロングによって強調されているのである。
キャラクターにとって長い髪は表情を隠すという機能がある。眼鏡を取ったら美人というありがちな設定も、眼鏡によってキャラクターを引き立たせる魅力が隠されているからだが、同様に長い髪をアップにする・後ろに束ねる等して表情をはっきり見せたら美人という設定も少なからずあるのは、髪の毛が眼鏡のように魅力を隠していたからである(第一話で彼女が眼鏡を掛けたら目のクマを隠せるという発見は、彼女を眼鏡の似合う女の子へ誘うはずなのだが、そうすると物語がはじまらないので致し方ないのだろう。眼鏡を掛けたらかわいいかもしれないという可能性を残しているのが、彼女の希望であるが、そんなハッピーエンドはありえないか)。
第一話で彼女は髪の毛をアップにしてかわいく魅せようとしたが、失敗し逆にブスに見えるという挿話を早々に用意することで、ありがちな展開を消し去っているのだが、それがために彼女は髪の毛によって逃れられない負の連鎖に陥ってしまった。垂れた前髪によって顔の表情は隠されがちで、より一層、目への負担が増す。彼女の目の様々な表現が必要に迫られる。しかも真っ黒にベタ塗りされた髪の毛だ、白い顔の表情に変化を付けて物語を動かしていくのは、もはや常道とも言えよう、くっきりと太い線で縁取られた目に読者の視線が集まるのも当然である。自然と目を際立たせた描写もはじめから多い。ギャグゆえに過剰な変顔描写もあるけれども、これもまた、髪によって隠された顔を晒しても変顔にしてしまうことで、「ありがちな展開」を拒絶している。
それでも私は、この主人公が時折見せる素の黒髪ロングに癒されている。弟にカップ麺食ったかと聞かれて逆ギレして「食ったに決まってんだろ 殺すぞ」という場面の彼女の描写であったり、ブックオフに行って立ち読みをしようと人波の間に割って入ろうとして、気付いた男性がすっと間を空けたときに彼女がペコリと頭を下げ、立ち読みに耽る彼女の表情の描写であったり、他人を他人として意識しない・自然に振舞う彼女の姿は好意的に描かれている。
モテたいという煩悩から解き放たれとき、目のクマのように淀んだ彼女の長い黒髪は、活き活きと輝き映えるに違いないのだが、この物語でそれが描かれることは、まず、ないのだろう。
(2012.09.10)
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