谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」14巻その2
田村ゆりは、なぜカフェオレを飲まないのか
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14巻が出たついでに既刊を見返す機会が増えたたため、今回も「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」についての感想を書く。
前回はキャラクターの感情が作画の距離感や、コマに描かれるキャラの状態に影響を与えている様子につい触れた。演出としては稚拙さも見え隠れしながら、キャラクターが見えているもの・感じているものを描写するスタイルは、黒木智子が関心のないキャラクターを作者は目鼻のないのっぺらぼうとして描き続けていることからも、当初から徹底されている。キャラクターが増えたことで、そうしたモブとしてののっぺらぼう名無しキャラが描かれることは減ったが、基本は変わっていないし、コマをつかさどる感情の持ち主が智子でなく他のキャラクターでも、その演出基準は一貫している。
14巻60頁
智子の内面を反映したコマの一例。大学見学に来た智子の周囲のキャラクターは、彼女が知りえない人物であるためか、目鼻が描かれない。あるいは、
13巻104頁
遠足編でパレードを待つ田村を描いたひとコマでは、彼女の内面を前で親子連れと思われる笑っているモブキャラを目鼻を略して描くことで、独りになった寂しさを演出しつつ、人物そのものには関心がない様子も描いている。一人であれば外すウサ耳をここで付けている、彼女の複雑な感情が良い余韻である。
こうした演出は見た目にも理解されやすいが、もっと綿密に計算された描写が、この作品には詰まっている。長期連載によって積み上げられたキャラクターの関係性は、そうした細かな描き込みの結果でもあると個人的には思っている。
5巻82頁
上図は5巻の一挿話「喪42:モテないし何気ない日常を送る(2年生)」の終盤の1コマである。智子の足下にきちんと畳まれた上着が描かれている。この挿話は、最近名前が明かされた「豚の餌さん」こと三家に食べさせられた調理実習のあまりものを食べて腹を壊して保健室で休んでいた智子が、放課後の学校をなんとなく散策した際に、非常階段と思しき踊場から校庭を眺める。上着を腕に抱えて保健室を後にした智子は、着ないままその場にたどり着いているのだが、上着を持っていないのである。けれども、この1コマにより、彼女が丁寧にそこに置いたこと・抱えていれば寄りかかった壁に押し付けてしまうことを恐れたのだろうか、理由は不明だが、汚れた場所に上着を置きながらも畳んでいるという行儀がいいんだが悪いんだかわからない、智子というキャラクターの奇妙さを表すコマである。
こうした性格を反映したと思われる描写は、各キャラクターに通底している。今回は、田村ゆりについて見てみよう。
修学旅行編から登場した田村ゆりというキャラクターは、おそらくぼっちの智子とはまた別の意味でのぼっちキャラクターとして設定されたと考えられる、友達の少ないキャラクターである。他人と気を使ったコミュニケーションを苦手とするどころか、そもそも関心が薄く、自分の興味がある範囲にしか考えが及ばず、利己的でもある。智子のぼっちネタが自虐風味のネタであるとしたら、田村のぼっちネタはギャグにすらならない切実で現実的な感じを受ける。最近では智子に気を使われるほどのぼっち度を発揮しており、それでいて智子への執着が、根元と並んで百合的関係性を喚起している。
さて、彼女の行動は簡潔に言えば自分以外への無関心である。それは修学旅行編から垣間見られた。下図は8巻102頁、智子がある芸能人がうまいと言っていたそば屋での食事場面である。
ここでの彼女は外出時はずっと帽子をかぶっているが、食事中も帽子を取らないのである。ここには明確な意味があるのだが、もっと他の場面をとりあえず見てみよう。
13巻74頁(左)と75頁(右)のある1コマ
遠足編のあるコマである、わかりやすいように並べた。智子を中心に遊園地を回るグループが形成され、みんなで被り物をしようと、猫やネズミっぽい動物の耳を各自かぶるのだが、田村はウサギの耳を選択する。他のキャラクターが遊園地内で被り続けるのに対して、田村は、グループから離れて一人になる上右のコマでウサ耳を外しながら対話に応じるのである。もともと被る気のない彼女が智子を待つ間のわずかに一人になった瞬間、それを外すのだ。ここで外す動作を描く意味はなにか。修学旅行で帽子をかぶり続けた場面と比較すると、好きで被る帽子と、智子に言われてしぶしぶ被ったと思われるウサ耳の差が、ここで浮き彫りになるのである(もちろん、ジェットコースターのような激しいアトラクションでは、ルールに従いみんな被り物を外している。14巻では、茜が帽子を被って登場する挿話があるが、食事の場面で外した帽子を机の上に置いていたことが示されている描写がある)。
13巻98頁
遊園地の外に出た途端、ウサ耳を外しているのも田村である。智子と手前の加藤さんが耳を付けっぱなしなのと対照されている。田村は、先に引用した5巻の上着の細かな描写同様、右手に耳を持っていることが確認できよう。遠足編では某アトラクションで歌を歌うのに智子に付き合わされるなど、智子の言うこと聞く一面から、彼女の好意ある対象への協調性が描かれつつ、義理堅く遊園地内では耳を付けているが、決して全てを他人には同調しないという本来の自分を失ってはいない意地のような性格が窺える。
13巻16頁
この場面は、智子が田村を名前で呼ばないことについて言及されがちであるが、もちろんそれが重要な場面なのだけれども、個人的にはもう一つの田村の性格がここに二つ現れている。一つは当然、名前に対する別の拘りであり、根元のような互いの呼び名を決めるやり取りもできず、と言ってどう呼んでほしいのかも言い出せない。関心はあるのに妙な意地があって智子と根元のような本音で話し合う対話が出来ない切なさと悔しさが描かれていよう。もう一つが、14巻で明かされるのだ。飲まないカフェオレである。
遠足編でコーヒー牛乳のキーホルダーを智子からもらって喜んだり、喪132では教室で紙パックのコーヒー牛乳を、15巻で収載されるだろう喪146では自販機前で紙パックのカフェオレを飲んでおり、その系統の飲み物が好きだということが窺える。智子、加藤、根元、茜そして田村の五人が喫茶店でゴールデンウイークの予定や進学について話し合う喪137でも、田村はカフェオレを頼んでいる。皆がケーキなどを頼む中、彼女は飲み物だけを注文し、少し飲みつつも、隣で加藤からケーキを分けてもらえてデレデレしている智子を横目に、じっとカップを凝視する場面も描かれる。
14巻49頁の1コマを拡大
さて、各々飲み食いしながら進学先について話す中、智子が冗談で言った大学名に皆が笑うと、加藤が、何がおかしいのと問いかける場面である。田村の前のカップには、まだカフェオレが十分に残っていたのである。何故だろうか。
加藤の皿も智子の皿も空である、食後の一服よろしく加藤が柔らかい手つきでカップを持っているが、ここで田村が期待していたのは、智子に飲み物を分け与える行為だったのではないだろうか。
「ゆうちゃん」と声を掛けて成瀬優が一度口を付けたカップ(ちなみに、ゆうちゃんが注文した飲み物にはラテアートが見えることからカフェラテだと思われるので、田村と好きな飲み物は同じかもしれない)に口を付けて一口飲み(間接キスを楽しんだのだろう)、口の周りについたミルクを拭う。一連の行動を注視していた田村の羨望は、田村と智子にしか知らない修学旅行の話題を自らまくしたてて場を乱す利己的な側面を示した。これは、14巻の食堂での小宮山への対抗心にも通じる、独占欲に似た感情だろう。
加藤から「田村さんも一口食べてみる?」と促されても田村は動揺を見せつつ断ってしまう。田村が求めていたのは、智子から「それ飲ませて?」というような、ゆうちゃんと同じ交流だったのかもしれない。
個人的に惜しかったのは、大学見学後の買い物である。加藤と休日に会う服を求めて服屋に寄った智子と田村。智子は田村をゆうちゃんのような性的な遊び相手として露出の激しい服を着せようと試みるも、一回着せただけで、田村にすげなく拒絶されるのである。知らずゆうちゃんと田村を同一視していた智子が、別れ際に田村を「ゆりちゃん」と呼ぶのも道理なのである。
「ゆりちゃん、それ一口ちょうだい」、そんなやり取りが来る日は描かれるのだろうか。
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