谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」14巻その3

加藤明日香のオシャレ大作戦!

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 長い連載によって培われたキャラクターの関係性が、緻密な小道具の描写の積み重ねで深まっていく本作を、14巻を中心に考えてきた。田村が修学旅行で帽子を取らずに食事する、みんなとの寄り道でカフェオレを飲まない、あるいは、智子は大学見学の帰りで寄ったレストランでは帽子を取る、根元と茜と智子の三人で寄った喫茶店で帽子を取る茜など、小さな描写とはいえ、そこからキャラクターの性格や態度は、わかりやすい例として他にネクタイという記号化した描写からも読み取れる。
 ネクタイについては、ネット上ですでに指摘済みで今更どうこう解説するのも野暮だろうが、とりあえずネクタイ着用を推奨されているらしい高校で、キャラクターのネクタイに対する態度から、性格が仄めかされ、同時に彼女たちのオシャレに対する意識も推測できる。
 11巻から本格的に智子に絡み始めた加藤明日香は、設定そのものは電話で声のみ二年生の時に「加藤さん」として登場し、名簿順から黒木の「く」の前だろう「か」の加藤さんとして修学旅行編で存在が確定した。11巻における加藤の立ち回りは、席替えで席が前後することになった加藤が後ろの智子に何かと気に掛ける。きっかけは化粧だった。
 智子にとって化粧は鬼門である。そもそも最初の最初、第一話の喪1で智子は女子高生としてかわいいファッションを試みて大失敗して以来、劇中ではそうした話題はギャグになるのが定番となった。従妹のきーちゃんが始めたオシャレ大作戦も笑いのネタとして振り回され、ますます本作にとって智子のオシャレネタは、智子自身にとっても気が引けるし、そうした言動をするキャラクターは智子にとって近づき難い存在になった。そんな彼女が、オシャレ軍団のクラスの頭領とも言える加藤に「目が大きいね」と認められたのである。
 智子の陰気で変態な性格を記号化した目の下のクマを隠す装いは、眼鏡で隠される発見も化粧の大失敗によって封印されていた。読者にはたびたび示されていた目元の描写を変えれば可愛くなる智子の美少女描写だったが、加藤による何気ないセリフは、他のキャラクターによって指摘された智子のキャラクター性の再発見とも言える転換点である。
  11巻90頁 11巻90頁 目の再発見
 もちろん、化粧を勧められて断れるほどの言葉を持ち合わせていないためか、されるがままの智子は、結果的に根元に笑われるわけだが、この場面では、本作を彩る背景の中で珍しいスクリーントーンが使用されている。上図の3コマ目である。
 フキダシだけのコマにスクリーントーンの背景は、本作でよく見られる演出である。網目模様、上図4コマ目のような水玉模様、グレーのグラデーションなど、単調な記号がほとんどである。それが、ここでは絵柄のあるトーンなのだ。これ、何かお分かりだろうか。「Pi」というのは鳴き声である、「デリータースクリーン」の「SE-384」、ひよこ柄のトーンだ。よくよく見れば卵・卵の殻をお尻に被ったひよこ・よちよち歩くひよこの三パターンであることがわかろう。後に智子が加藤をお母さんみたいと形容する焼肉打ち上げ会以前から、すでにここにおいて、加藤は智子の母として化粧を施し、子どもからオシャレに目覚める女性へと・卵から孵らせた。インプリンティングである。(ホントかよ……)
 喪109「モテないし雪の日の学校」、大雪で交通機関が麻痺し多くの生徒が登校できないか遅刻し、ほとんど自習となった午前中、智子のわさわさした手を見た加藤がネイルを塗る場面が下図である。
  11巻118頁 11巻118頁
 雪の日の静けさ、人気のまばらな教室内。図の次のコマとの間白が他の間白よりも広く取られることによる時間経過と、一緒の音楽を聴きながら読書する田村と田中、机に突っ伏している吉田、窓の外の雪。外を眺める智子と、ネイルをする加藤のうつむいた視線。どこなく侘しいのは、二人の表情が影に覆われているからである。ここで智子が見ているものが指先ではないのも演出として映えている。見せ方そのものは、先の図のデカ目メイクと同様に、どうメイクされたかははっきり見せないまま時間を経過させ、根元に初めてその目を見せることで、読者と根元との共感が図られていると同時に、客観的に智子を笑うことが出来る。
 ここでも、どのような仕上がりなのかは伏せられている。手袋をして帰宅した智子を出迎えた母との対話をしながら、智子はコップに牛乳を注ぐ。飲もうとする口元のアップとコップを持つ右手の人差し指が光る場面は、加藤がネイルをする上図の2コマ目と同じスクリーントーンかもしれない。なによりも、口元の智子とは思えない艶が、子どもっぽさからは程遠いのである。智子の視線は、光(感情としての楽しさ)を捉えているのである。
 さてしかし、キャラクターの感情表現に様々なトーンを活用している一方で、記号化したオシャレ描写もある。これは、谷川ニコ以外の作家も多く用いる技法であり、手抜きを指摘したいわけではないことを強調しておきたい。あくまでも、そういう技法を使うことによって、劇中のキャラクター性で重視されているものが、オシャレそのものではなく、その裏に隠された本音であるからだ。
 すなわち、服装である。
 マンガ家の押川雲太郎はブログで服の柄について解説している。
「今は「漫画用」スクリーントーンが豊富です。
(中略)
これらのトーンを、胴体や腕の向きに合わせて貼って服の柄が出来て行きます。
ある女性漫画家さんの所でお手伝いした時は、スカートのひだ毎に向きを変えられていました。
読者はこういう所を見るから、と説明されて、なるほどと思ったものです。
着ている服が人物のキャラの肉付けになる面もあるので、服の柄も演出の一部と言えます。
え?大げさですか?
スクリーントーンで対処できない柄もあります。
縞模様は、体の状態、服のしわに合わせて描くしかありません。
(後略)
(出典:https://ameblo.jp/oshikawauntaro/entry-11894368982.html。押川先生本人はブログタイトルの横に「押川」と明記されているので、これは「中の人」・おそらくアシスタントの方が書いたようだ)」
  14巻56頁 14巻56頁 喪138の表紙の一部
 大学見学に行く智子と田村を描いた挿話の表紙である。田村のスカートの柄に注目してほしい。両腿の間に両手を挟んで物憂げないつもの彼女の表情に目が行くかもしれないが、大きく歪んでいるにもかかわらず、スカートの柄がトーンをベッタリと貼っただけなのである。服の皺が線によって描かれているのでわかりにくいが、他にも智子の帽子も陰影がはっきりしていながらトーンはやはり線を無視して貼られている。鞄にせよズボンにせよ、それは変わらない。
 田村のスカートは、どんなにひらひらしてゆらゆらしていても、それは線による表現に過ぎず、立体感を担う面は、実は真っ平に描かれているのである。
 もちろん、皺に従ってトーンを貼りかえる作業は酷だろう。リアルな服装を求めてそこまでする必要性もないだろう。それがキャラクターにとって服装はどれほど重視されているのか、という目安になるからだ。もっとも、トーンではなく手書きの場合は、この限りではない。
  14巻58頁 14巻58頁
 上図の通り、トーンで表現できない服の模様は腕の丸みや背中の丸み具合も意識した線で描かれている。少女漫画でも皺を無視したトーンの貼り方が見られるので、繰り返すが、決して手抜きであるという指摘ではない。(余談だが、例えばデザイナーを目指す青年を描いた猪ノ谷言葉「ランウェイで笑って」では、おそらくデジタル作画だろうと思われるが、トーンであっても服の皺や腕の丸みを意識したトーンワーク描写が、特にフッションショーの場面は細かく描かれているので、その点に注目して読むのも面白いぞ)。
  14巻89頁 14巻89頁 喪140の表紙の一部
 他の例も同様である。加藤のスカートが風にはためく様子でふんわりした印象があるが、それは線による効果であって、トーンの一様な面の効果ではない。あくまでもこういう模様のスカートです、という記号なのである。智子の上着も同様だ。これはもっと入り組んだ格好のはずで、実際には、手前の両腕と服や胸のふくらみが模様をゆがませるのだが、腕も含めて一様にトーンが貼られているのである。
 学校生活以外の描写が増えたことで、キャラクターがいろいろな格好をして登場する機会が増えた。けれども重要なのは、彼女たちの服装の鮮やかさではなく、その描かれ方から見える作者の拘りである。オープンキャンパスを見学し終えた智子と加藤がベンチに座って対話をする場面に必要なのは、彼女たちのオシャレな恰好ではなく、本音を炙り出すキャラクター描写なのである。リア充に対する智子の、気遣いや本音を隠す言動・上っ面だけの交流というイメージは、本人が当初に直面したリア充の気苦労であるかに思えた。だが実際は、交流を重ねれば重ねるほど、互いの本音を知り、互いに何を隠していたのかを理解していく。
 喪135「モテないし仮面をかぶる」は、劇中で智子の主観から語られ続けた友達付き合いの知られざる面が「ペルソナ」というゲームに影響された体で、仮面・化粧によって成立していることを悟るきっかけとなるか否かはわからないが、加藤によって駆動された智子の中のオシャレ意識は、服装と言う形式的なものではなく、化粧と言う表情の変化によってもたらされるのである。目の下のクマを消す、それだけで智子の仮面は事足りる。
 さあ、智子よ、今すぐに、眼鏡を掛けるのだ! というわけで、今回紹介する曲は、ネクライトーキー「オシャレ大作戦」!

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