「やさしいからだ」1巻

エンターブレイン ビームコミックス

安永知澄



 素晴らしい。
 決して多くを語らない台詞回しは読者にとって意味が通じないかもしれない。作者の独りよがりだという非難もありえよう。だから、つまらないという感想があっても驚かない。いや、むしろそれが普通かもしれない。だが時として、言葉では伝えられない登場人物の心理が、理屈を抜くにしてわかってしまう瞬間と言うものに出会うと全ての編がいとおしくなってくる。「やさしいからだ」は、読者一人一人にとって様々な感情を喚起してくれる(あるいは何も喚起しない)とても個人的な作品なのだ。
 人のわずかな係わりが紡がれていく6人の物語が1巻には収められている。第1話は、からだの変化・異質さに悩んだり笑ったりする人々を描くことを宣するために、本作の導入部としてわかりやすい表現の仕方を取っている。読者の期待感をつかむためかもしれないが、第2話目からもうすでに作者は、言葉を越えた側の表現に行ってしまう。正直言えば、私も意味がわからない話はいくつかありますよ。別に理屈つけてどうこう語ろうと言うわけじゃない。ただ、説明的な台詞を極端に廃し、状況描写となにげない一言二言によって物語を作っていく作風(絵も含めて)が、非常に面白いのである。
 で、意味わかんねー、とかいうのも正当な読み方であると思うが、少なくともそう言うことは何か意味があるんだろうと考えたからだと思うんだよね。この作品の肝はそこなんだと思う。つまり、作者側が物語の情報を全て揃えて見せてくれるわけではなく、読者が想像して補完していくことをおおいに求めているんだと独断しちゃうわけ。作者の意図まで考える必要はないけど、それを促そうとしているような場面がいくつもある(もっとも、それ自体が私の思い込みかもしれんけど)。例えば37頁「岬はるか」編で彼女が読んでいる本から、その後の彼女の妄想や思いつきが、戦争関連の本に由来している点はわかりやすいだろう。そこから彼女が最近読んでいる本が具体的に想起できるし、作者は当然それを計っているに違いない。また「安倍秋緒」編では、大量の汗をかく彼女とのつきあいを通して、主人公が本当の自分を出せない・隠し続けることに苦悩する様子が描かれる(友人にボロを出せよと言われているね)。彼女は汗のように溢れる感情を言動で表現する、ぎゅっとしてとか、好きと言ってとか。比喩と言えるのかどうかわからないけど、汗の量と彼女の感情を同価値に置くってのがあって、それに気付かないとなんだかわけがわからない。だから最後、その大きさにぞくっとするのも意味不明になるのだろう。
 オムニバス作品を読者の想像力に頼る作劇法がどのような作用を読者に与えるかって言えば、特に「小島せつこ」→「岩田基彦」の流れが説明しやすいので具体例を引くと、岩田は姪の娘を幼稚園に迎えに行くが、姪に念を押すよね、私が行っていいのかね、と。岩田編では彼が過去に何をやってきたのかってのは、ピアノの教師暦40年くらいで、他に多分独身だろうとか、時々弟夫婦に世話になっているとか、そういう情報しかないにもかかわらず、幼女を預けることへの不安が漠然とあるんだ、読者にとっては当たり前の情報・前編のアレがあるだけに、ここで一気に想像が膨れる。ここだね、これは上手いよ、ほんとに。緊張するんだ、彼に犯罪歴があるのか、姪は小さいころにいたずらされたのか、左手で吸っていた煙草をどうして右手で吸うようになったのかとか、いろいろと考えるはず。小さな係わりでかろうじて繋がって体裁をとっている各編が、読者の想像力によって全体が一つの物語のような広がりを見せるのである、少なくともこの2編には読者の思いが確実に絡まって時代も場所も違う二つの話を一つの挿話のような錯覚に陥れている。
 でも、私が一番感激したのは、なんてったって「小島さき」編ですよ。これは来るね、来たね。なんとなく疎ましい叔母の存在、かまってくれない病気の母、これらに関する少女の心理状態や周囲の状況を匂いというこれまた漫画の中じゃ音楽同様に難しい表現を描こうというのだから、しかも描ききっているのだから素晴らしい(いや、描画にはいろいろ注文があるだろうけど、演出というか匂わせる、という場面がいいんだよ)。まず表紙の老人ホームの匂いを後でちょっとくさかった→悪いところがあるとくさいらしいという思い込み。冒頭で話を聞いてくれない母と素直な主人公・さきにちょっと同情しつつ68頁で犬が匂いを嗅ぎ取る、で、キレーなにおいと級友に言われても釈然としないさき、そこから前編最後の病室からの匂いだ。圧倒された、ここまでよくわかんないんだよ、匂いの正体がなんだろうかって思いつつ、悪い所から連想してその元は病気の母ではないかって茫洋としながらも小さいけど確たる想像があって、それをうかがわせる描写もあるし、だからこそ判明した時の衝撃。これが凄まじい。さきにとってはいい匂いじゃないってのも言葉には表さないけど読み取れる(これも級友の何気ない一言に影響されている結果。台詞に無駄がない)。
 ところが後半の冒頭で、ある患者が花の匂いを嗅ぎ取る(ここの台詞も上手いね、何の花かなっていう発想が素敵。そこから何も咲いてないという返答。なんの匂いかな、だなんて野暮な直球は投げない)。そして次の叔母との対話で、母の思いと叔母の思いの相違が刻印される(どっちも4頁。計算してるかもね)。
 さてしかし、ここからがさらにいいんだ、主人公と母親の匂いが実は同じだと最初に気付くのが当の母親なんだ(この辺の解釈は人によって違うかな)、91〜92頁、ちょっと感動したよ、私は。冗談を言うでしょ。台詞が素晴らしすぎる。娘への思いやり、今まで話を聞かなかったことへの悔いとか、いろいろと想像してしまうけど、労わりや慰めを包含した笑いが、ラストの感動の呼び水になっている。母はとっさに冗談言えたけど、娘は髪を切ってしまうという直接行動に出る精神のもろさ、そして「好きだよ」という言葉に詰め込まれた多くの思いはそのまま読者の想像に転換される。お母さんが笑ってくれたらいいと思った……というモノローグに彼女の笑顔を私は想像し、読後は気持ちよかった。
 ……読者には、やさしくない漫画だな。

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