「よつばと!」14巻
眼鏡とリアリティ
メディアワークス 電撃コミックス
あずまきよひこ
眼鏡をかけたキャラクターといえば、それこそ枚挙にいとまがないが、その描かれ方には多くの共通点があるだろう。その最も大きな技法が眼鏡を白くして・光らせて目の表情を隠してしまうという演出である。これによりそのキャラクターが何を考えてるのかという表情を隠すことができる。あるいは何かよからぬことを考えているのではないか、本題とは別のところに真意があるのではないか、などと読者に考えさせるに十分な説得力ある描写になり、その例も枚挙にいとまがない。また、真面目な描写が続く最中、ストーリーの起伏としてコメディタッチの絵柄が選択され、キャラクターたちの表情がデフォルメされる、という場面にも多く出くわしたことがあるだろう。そうした場合、眼鏡は前述のとおり目を光によって遮って眼鏡があたかも目のように描かれ、キャラクターの表情を眼鏡のモノトーンで目を隠し表情の変わらなさにかえっておかしみを込める演出もたくさんある。
そうした中において考えるのは、キャラクターの表情はどこまでリアル・肖像画のような筆致や写真のような描線に迫ることができ、どこまでマンガタッチ・単純な絵としてのキャラクターを維持できるのか、その境界線を揺らいでいるマンガを、いま私たちは目の当たりにしているということである。あずまきよひこ「よつばと!」である。
今年(2018年)のゴールデンウィークに東京駅で開催された「よつばと!」展示会で生原稿を見る機会があり、20以上の生原稿をゆっくりと観察してきた。12巻から14巻の内容が抜粋され展示されたそれらは、ホワイトによる修正がほとんどなく、とても綺麗な原稿だった。と言って修正が全くないわけではない。修正箇所はほとんど、キャラクターの顔に集中していた。例えば口、開いた口には歯や舌がほとんど描かれず精密に描かれる背景とはうって変わり、その中は真っ白に省略されているけれども、奥行きを出すための影の付け方にはある程度のこだわりがあるようだ。そして、もう一つがやはり目である。例えば笑った顔の目はデフォルメされ円弧で描かれることが多いが、その丸みに対して、ホワイトで修正し微調整した後が見られ、ちょっとした角度や線のずれにより、その笑った顔が笑った顔に見えないというような作者なりの基準があるようだ。
残念ながら眼鏡をかけたキャラクターの描写はとても少なかったが、13巻に登場したよつばの眼鏡をかけたおばあちゃんの絵が描けた原稿がいくつか見られた。眼鏡についての修正はほとんどなく、ほぼコミックス通りの眼鏡だったわけだが、14巻で眼鏡に注目したきっかけは、父ちゃんの妹・小春子である。初登場時、最初のそのあまりにはっきりと大きくと丸みを帯びて細かく描かれた目、まつ毛や虹彩など父ちゃんの細目・丸目と異なり、ぱっちりと見開かれていた。眼鏡をかけながら、ここまで大きく描かれている目は珍しいのではないか、と違和を覚えたのである。
もっとも、「よつばと!」は初期からこれまでの長い連載を通し、キャラクター全体が丸っこく描かれていく変化があり、目の描写も同様に丸くなってきている。よつば自体も少し背が縮んでいる印象で、キャラクターそのものが小さく丸まっているという印象を受ける。だがこのぱっちりと開かれた目というものに、眼鏡があまりにも不釣り合いで眼鏡キャラクターのこれまでの私の先入観が大きく揺らいだのである。これまで登場していた眼鏡キャラクター・ジャンボを見ればわかるように、その眼鏡を外した姿・目の小ささを想像できる程度に目の大きさというものは、眼鏡に収まる程度の大きさであること、国民的キャラクターとして認知されているドラえもんののび太がわかりやすいだろう、眼鏡フレームそのものがほとんど目として機能し、眼鏡を外せば単純な線で描かれたその小さな瞳は眼鏡を外すと目が見えない、あるいは見えにくいものを想起させるに十分な線で描かれた。
小春子の目は上図のように、フレームから飛び出さんばかりに大きい。小春子登場の挿話に一緒に出てきた宇宙人の格好をしたお姉さんの影響を引きずっているのか否か、丸さは、作者のキャラクター描写の最近の特徴を踏まえつつ、眼鏡をはずしても容易に想像できる現実味がある。兄のような点に近い小さな目でもなく、母(よつばのおばあちゃん)のように現実的な切れ長の目でもない。少し斜めから描かれた小春子に至っては、フレームから漏れた大きな目とまつげが、その大きさをしっかりと描写される。
では、実際にどれほど眼鏡の目は目として描写されているのだろうか。調べてみた。
小春子の眼鏡が白くなる例は、正面かそれに近い構図で描かれた全76シーン(眼鏡が描かれても横からや斜め後ろなど、目が描かれにくいシーンは除く。ただし、横から描かれた場合は、ほとんどのシーン・いや全てと言ってもよいくらいでその角度から描かれるに相応しい目が描かれていた。眼鏡が白くなるということは、横からの描写でも、以下に示す割合よりもずっと低いだろう)のうち、11シーンだった。多いのか少ないのか、これではわからないだろう。同じ14巻に登場したジャンボの場合、全25シーンのうち、4シーン。13巻のおばあちゃんは、全110シーンのうち31.5(0.5は、片目が描かれ、もう一方が白くなっていたシーンが一つあったため)である。
比較するには1巻と比べるのが手っ取り早い。1巻に登場した唯一の眼鏡キャラのジャンボは、全64シーンのうち、48シーンで眼鏡が白く描かれて目が描かれていなかった。上図は横からのシーンだが、同じ構図から描いても、1コマ目で恵那を見詰めるジャンボの横目が、次コマであえて眼鏡を白くして横目を描かないことで目が白くなった印象と目を隠すことでキャラクターのリアクションや感情表現を演出した。白い眼鏡・目を隠すことに意味を持たせていることがわかるだろう。
ちなみに、「よつばと!」の前作「あずまんが大王」4巻も調べたところ、眼鏡キャラのよみという名のキャラクターは、全125シーンのうち、75シーンだった。他に木村先生という眼鏡キャラも登場するが、既読者は察せられよう、常に目が眼鏡で隠されているキャラクターなので、全13シーンのうち全てで目が描かれない。他に眼鏡をかけた獣医が3シーン登場、全てに目が描かれている。
眼鏡が白く描かれる傾向としては、前述のほかに、ボケや無感情の場合の反応(よつばの扱いに棒読みっぽいセリフでそっけなく対応するときとか)、あえて本心を隠す場合(あさぎに自己紹介するときとか)など、コメディ描写でその効果を機能させようとしている。さてしかし、眼鏡をかけていないキャラクターと比較すると、目を描く、という意味がより鮮明になる。
上記のような状況の場合、キャラクターの目は、たとえば白目になったり点目になったり、それまで正確に描かれていた目が途端にデフォルメされて描写される。「よつばと!」の変化は、眼鏡キャラが同様の状況で目を同じように描かれるか否かで判断できる。もし、眼鏡が目の一部として描かれている意識が作者に強ければ、白目になった場合に眼鏡しか描かれない、という描写が予想されよう。
上図の通りである。小春子の目が眼鏡の中で白目になってよつばのセリフに応えている。他のキャラクターを含めれば、例にきりがない。この例だけで、作者が眼鏡を眼鏡として描く意思が垣間見られる。目が描かれないシーンは、総じて眼鏡が小さすぎて目が描き込めないだけという印象があった。これについては正確な調査が必要だろうが、本稿では眼鏡がキャラクターの顔の一部として描かれているのか、背景と同様にキャラクターとは区別されているのか、リアリティラインを探る一つの指標として、例に挙げてみた。
8巻の感想文では、「よつばと!」の髪の毛の描写が細かくなっていく経緯を紹介したが、眼鏡ひとつとっても、この作品は少しずつ、リアリティラインを調整し、どこまでリアルに描けるのかに挑戦しているようにも思えたが、ここは素直に、よつば可愛い! 面白い! という感想が一番である。
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