あずまきよひこ「よつばと!」16巻の衝撃

メディアワークス 電撃コミックス


あずまきよひこ「よつばと!」16巻の衝撃  いろいろと衝撃ポイントがあるんだが、まずは小春日からいこう。
 眼鏡はどうしたんだ。眼鏡をかけていないじゃないか。いや、14巻の初登場時でも眼鏡をかけた姿は馴染んでいなかったけれども、それでもだんだん馴染んでいくものじゃないか、眼鏡キャラクターとして、こういうのは(※14巻の自分の感想を引用すると「このぱっちりと開かれた目というものに、眼鏡があまりにも不釣り合いで眼鏡キャラクターのこれまでの私の先入観が大きく揺らいだのである。」と実際に驚いていた)。しかし、何の前触れもなく、眼鏡をかけていないものだから、職場では外しているのかな? コンタクトにしてるのかな? と勘ぐりはしたものの、同僚と外出した際にも改めて眼鏡をかけないので、え? ひょっとしてこれが自然体なのか、小春子よ、と馴れ馴れしく呼びかけるほどに、衝撃だったのである。
 けれども、ひょっとして最近コンタクトに変えたのか、あるいは視力は低いけど普段は外していて、公園で兄とよつばに会う時だけ、休日は眼鏡をたまたまかけていたのか、そんな気がしないでもない。
 同僚から「そこダンボールあるんで蹴らないでください」と言われていたからである。
 小春子は「蹴らないようー」とちょっと驚きつつ、避けたっぽい動作が描かれているが、目が悪い癖に眼鏡をかけていないんじゃないのか、という疑惑とともに同僚にもそれはネタにされるくらい周知されていて、けれどもさすがに車の運転は眼鏡ないとダメなので、14巻では眼鏡をかけていた、という説を訴えたいと思う。
 続いて、ひつじ雲の描写である。
 16巻14頁の、自転車に乗って楽しんでいるよつばが、ふっと見上げた空に、一瞬、なんじゃこりゃ、と思ってしまったのである。雲に見えなかったのだ。
 背景を精密に描いていくことで、キャラクターとしての地力を引き上げようとしているのか、服装も髪の毛も写実に寄せていき、顔の表情だけがマンガとしての記号的な体裁を維持し続けていたと思っていたら、こんなところにまだ記号的な絵が出てきたことにびっくりしてしまったのである。
 9巻で気球に乗る挿話があり、そこでは朝から昼にかけて、緩やかに広がっていく空と雲がトーンワークによって描かれていたが、さて、今読み返してみると、それは空であるという約束事があるから、雲と空だと理解できていただけなのかもしれないと思い始めた。
9巻 9巻、舞い上がった竹とんぼを見詰めるよつば
 上の引用図からも、地球の丸みを感じさせる、かつ、空の広がりも存分に描かれた場面だが、よくよく観察すれば、雲は輪郭として描かれず、トーンが貼っていない箇所・削られた箇所の、白い部分を無意識裡に雲であると思い込んでいた。読解の上では、それはそれで全く問題なかったのだが、ひつじ雲の場面で、何が起きたのか一瞬混乱し、よつばがとーちゃんに向かって「へんなくも!」と空を指さすことで、あーっ、これ雲か、そうだそうだと気付けたのである。
 続けて、16巻106頁のモノローグである。あれ、「よつばと!」って(連載初期を除いて)モノローグがないのが特徴だったはずなのに、やはり連載マンガってば、生き物だよなぁ。当たり前のように、元気なよつばに対して早くも疲れているとーちゃんの嘆きが、モノローグにされるのである。
 けれども、その前の表情の描かれ方とコマの展開から、十分にそれは理解されていたはずだ、あっ、もう疲れているぞ、とーちゃん……と。そしてベンチに目敏く、休憩しようと提案するも、そっけなく否定されてしまう。この場面だけでも、疲れていることが、いずれにせよ伝わったことだろう。でも、ここに言葉を重ねて強調するのである。
 キャラクターたちのとても豊かになったと感じる表情の描写もあいまって、顔だけに関しては、リアルとは真逆に、どんどん崩れてマンガ的になっていく。やんだがよつばに対して山登りに一緒についていく大人として必要な存在であることを、殊更アピールする際の表情、口元のゆがみ具合なんか最高だし、対抗して富士山を見つけたよつばがやんだに対して自慢げな表情を向ける際の口元の曲線も、より比して最高なんだよなぁ。
 さらに、目の形が自在に変化したり、よつばの目の描かれ方もいろんなパターンが出てきて、よつばの子どもっぽさに加えて随分とコメディっぽい言動を各キャラクターたちに振る舞わせるようになった。だからこそだろう、小春子の眼鏡や、16巻ではジャンボの眼鏡にさえ異様に違和を感じたのだけれども、ここにきて、モノローグも出てきたのである。
 さらに加えると、風香の胸である。おそらくこれは、単に自宅でブラを付けてないゆえの、揺れ具合なのだろうが、これまでにも増して強調してくるので、ちょっと驚いた。この先の衝撃に比べたら、こんなものはさざ波にもならないのだが。
 手術ごっこをする場面でも恵那の「はやい!!」というモノローグがあり、かつて夜中の暗さにおびえたよつばのモノローグが衝撃的だったとはいえ、あっという間に、この演出になれてしまっているのは、先日「あずまんが大王」を久しぶりに読んでいたためだろうか。
 そして、まるでこれまで封印してきた演出を、作者の作風として確立し、マンガとしてより洗練していくように、いよいよ、満を持して、あいつが登場したわけである。
 「よつばと!」世界の作風で描かれた「あずまんが大王」のキャラクターは、髪の毛は細かく、服装も記号的でなく「よつばと!」世界のキャラクターとして描かれつつも、目の瞳は、やっぱり一人だけ右下あるいは左下に描かれ、うっすらと胸のふくらみを伝えるジャージの皴の線の入れ方は、「あずまんが大王」の描かれ方なのだ。
 さてしかし、この先生感が全くない大阪はどうだろう、まるで高校生時代と同じではないか。よつばに「先生」と呼ばれても、実際、大阪は自分のことを「先生」と自称しない。私のことは「私」と自称し、よつばや生徒たちと対話をする。よつばに役割を与えられて呼ばれたキャラクターは、それぞれがその役割を演じることで、よつばの世界を華やかなものにとしていた物語が、私は私であると主張してやまないどころか、よつば世界を壊してしまうのではないかというハラハラドキドキっぷりを味わいつつ、大阪がここにおる……と感動してしまった。
 よつばの髪の毛も取れるのではないかと、結んだ髪をひっぱりやしないか。記号的な髪の毛を描かれ続けるよつばは、ちよちゃんのように唐突に触れられるのではないか。鉄棒でぶら下がりながら、「先生」としての役割を期待され続けても大阪は、やはり「私」と言いながらよつばと対話した。元から同じ世界のキャラクターであったのではないかと錯覚してしまうほどに、洗濯物としてぶらさがっている二人は、あの時の大阪たちなのだ。
 おそらく小さな種は以前から蒔かれていただろうマンガの演出の変化は、16巻で大きな転換点として芽吹いたといえる。逆上がりの練習に挑むみうらに、よつばのしょうらいはてつぼうのせんしゅになるという宣言を聞いて「あれ?」と見詰める大阪の、二人の髪の毛の描かれ方・このコマだけ、「あずまんが大王」っぽくなる、その瞬間に立ち会えた幸福を、今は噛みしめたい。
(2025.3.24)
戻る