「よつばと!」3巻

メディアワークス 電撃コミックス

あずまきよひこ



 よつばの声が紙面からとどろいてくるような錯覚がいつもある。特別に誰かの声を想起しているわけではなく、誰でもないどこかの子供の声が脳裡を巡る。そのせいかどうか、私はこの作品の誰かに肩入れすることもなく、よつばの周囲の大人たちのように、よつばの振る舞いに慌てたり驚いたり笑ったりしてて、彼女の明るく響く声が読むよりも先にやってくるような臨場感を常に感じている。その感覚の予兆は「あずまんが大王」におけるちよにもあったのだが、本作ほどの強烈な印象はなかった。なんでこれほどの印象深さが本作にはあるんだろうかと、ちょっと考えてみる。
 ほのぼのといったような読後感よりも楽しい感じがあって、でもその裏には実に緻密な物語性が潜んでいて、単なる日常スケッチという水面の波紋に見惚れていると、その下の壮大なつながりを見落としてしまいがちだが、その辺をちょっと指摘しておきたい。やはり、したたかな計算があって、それを感じさせない・少なくとも読んでいる間は雑念を生まない吸引力を築くだけの力が本作にはあることをはっきり言っておかないと、なんだが哀しいんである、3巻を例にいろいろ考えた。
 たとえば10頁はわかりやすいだろう。公園のよつば、結局遊んでいる風な印象を与えるためのブランコや砂場で他の子と遊ぶ絵で、よつばは本来の目的・おみやげを忘れたんじゃないかという不安を与える。それだけに18頁の四葉のクローバーのおみやげに緊張が解かれてほっとする、公園の芝生のコマはこれを探していたのかという納得感も相まって微笑ましさも生まれる。不安が解消されてお気楽になった感情は、次の虎子へのおみやげで簡単に次の微笑も生む。よつばの突拍子もない行動によって彼女への感情移入を巧妙に排除することにより獲得されたよつばを見守る・鑑賞するという読者の態度を計算に入れた仕掛けにより、ささやかな日常描写にも楽しさを感じさせる。
 で、この読者の排除ってもんが実はよつばだけではなく作品全体にも波及しているんじゃないかと思うわけである。いや逆か、先に拒むようなコマ運びがあって、それが登場人物にも及んでいると。まあどっちでもいいや、とにかくそんな気がしてしまうんである。というのも、「あずまんが大王」のときにもあったけど、微妙な間外しというか、リズム崩しみたいなのが、本作に独特のテンポを生み、それがことごとく読者というか私自身のことなんだけど調子を狂わされるんである。ほんのわずかなものだけど、各話を読み終わる度に、その隔たりにちょっと愕然としてしまうのだ。46頁のへび花火、これなんか唖然と言うかこれで終わりかよみたいな呆れがあるんだけど、それまで順調に描かれていた話のテンポ、さくさくと進められていた花火の描写がここで唐突に切れておしまいなのである。これは前々頁の「1ミリも動いちゃダメ」への受けと思われるが、いや動かないのは線香花火のときだし、なんでここで? しかもみんな動かねーし、というあほらしさとへび花火の間抜けさが加わって、奇妙にもちょっと微笑んでしまうのである。この後からやってくるおかしみにいつも間を狂わされ、作品自体に翻弄される自分があたかもよつばに振り回される父ちゃんやジャンボのように思え、外から眺めていた自分が作品の世界に溶け込んでいく、終わらない夏休みという幸福感が気持ち良い(まあ、これはいずれ夏休みの終わりあるいは連載の終了という形で消えるんだけど、その時の感覚は思い出として残ることは確実で、ほんとに素晴らしい漫画だなぁ)。さらにまた、このテンポは各話の冒頭でリセットされ、再び繰り返される。花火の次の冒頭でバトミントンをするよつばは前話の冒頭との対比であり、ここでまた似てるけど新しい一日が始まっているという例がわかりやすい。
 動かない登場人物の連続2コマは、前作からも見られた手法だが、58頁の自転車の風香2コマは、しばらく呆然としている風だが、1コマ目こそまさにそんな感じだけど、2コマ目は3コマ目の猛ダッシュによって、1コマ目の呆然よりもダッシュするための溜めという意味が強まる。つまり同じコマがただ2つ並んでいるのではなく、呆然と力の溜めという違う情報が分けて描写されているのである(多分な。作者に聞けばそんな意味ないよって応えるんだろうけど)。もちろん間を引き伸ばすことで風香の必死の形相の印象を強くしようという効果もあるだろう。その発展が69頁3、4コマ目や119頁4、5コマ目である。
 さてしかし、この調子の狂わされ方は時に読みにくさ・退屈さにも繋がってしまう。3巻で一番強く感じたのが147頁の4コマ目のジャンボに叩かれてふっとぶよつばである。おそらく少年漫画とかアクション色の強い漫画ではこのようなもたもたした飛ばされ方はしないだろう、ジャンボがよつばをぶって、次のコマでは壁にびたんでテンポよく描かれるかもしれない。でもその前にごろごろと転がるよつばが描かれる。ジャンボの力強い腕の振りが前のコマにあるだけに、ここで速度が急に落ちてしまうのである。ていうか、そのまま転がれば顔から壁にぶつかりそうなもんだけど。ただこう描くことで感じる痛さは軽減されるのだから、漫画って難しいな。
 そして作品全体を見通すことで見えてくる物語性がほんとに素晴らしい。5頁で動物のテレビをみているよつばは当然虎子の名前に過敏に反応し、動物図鑑を父ちゃんと見て、動物園に行って象のウンコを見、ジャンボにぶたれると自身がなんかの獣みたいに泣き叫ぶ。花火つながりで読んでもいい。花つながりでもいい。いみねーな攻撃でもいいし、四葉でもいいし、なんでもいい。特に大きな事件がなくて平凡な日々だけど、どこか楽しいのは積み重ねを忘れずに、なんでも好奇の目を向けるよつばの笑顔がのりしろになっているからだ。見開きのカラーの花火に、一瞬よつばの感動と同調できただけで、なんかすげー幸せ。奥付の凝り方なんか見ても、作者のノリの良さが伝わってくる。ちょーおもしれーとよつば調に言える作品である。

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