「アリの足」

 彼は何事かに懸命に真面目に真摯にひたむきに努力する人間が好きである。自分をはじめとしてピノコや患者がリハビリに励む姿に彼は心を寄せ、その眼差しはつとめて平安である。非情と思える言動も本人のためなのである。彼自身は復讐心を支えにリハビリに励んだのだが、彼の執刀医であり恩師でもある本間丈太郎は彼の努力する姿に感動してある本を上梓する、「ある身障者の記録」だ。
 この本がどういう経緯で書かれたかはっきりしていない。彼も多くを語らない。彼の度を越したリハビリが本間の心を動かし、恐らく時折医師と連絡をとりながら、彼の歩き旅が実現したのだろう。そして二十年近くたって、この本を手にした身障者の少年が苦しみを乗り越えて同じ旅に出る決意をする・・・
 身障者の少年が登場する話を「アリの足」の前にひとつ私は思い出す、「なんという舌」である。全国珠算コンクールに何故彼が姿をあらわしたのか? コンクールの決勝戦に進んだ村岡英児は彼の手術によって両腕を回復させた過去がある。かつて身障者としてそろばんの優れた才能がありながら、身障者故の懊悩が少年を手術に踏みきらせた。彼は気が進まないけれども執刀し、少年は懸命なリハビリを重ねて両腕の機能を回復させ、大会に臨んだ。彼がコンクール会場にあらわれたのは、術後の経過を知るためだろうか? もちろん違う。術前、相談に現れた少年に向かって彼は言った、「笑うやつには笑いかえしてれないのか」。舌でそろばんを弾くことを恥かしがっていた少年は彼にとって忌々しくてならなかった。彼が体中の傷跡を整形で消さずに残している意味がその言葉にある、だからこそ少年には身障者健常者という区別なくひとりの人間として胸を張って生きて欲しかったのだ。決勝戦を見守る彼は口を開かずにただ少年の姿を追いつづける。そしてリハビリでも克服できなかった腕の持久力が尽きると、少年は舌でそろばんを弾き始めたのだ。会場の驚嘆はたちまち喝采に変わり少年は落涙、羞恥心が確かな自信に生まれ変わるのを見届けた彼は静かに会場を去った。
 「アリの足」でも彼は少年の旅を見つめる。かつて自分が歩いた道を懐かしみながら少年に邪魔者にされようとも構わずにじっと支える。彼の穏やかな目を見よ、暴走族から少年の財布を奪い返して道路の真ん中にそれを置くとき、少年に過去の自分を語るとき、そして少年が目的地に着いたことを報じるテレビニュースを聞くとき。「えやい子ねえ。ずーっとあゆいたんれちょ」とピノコは言う。少年時代の彼にそんな言葉をやさしく語った人はいるのだろうか? それを考えると、彼の寂しさが胸に染み込むのは私だけだろうか・・・
 人間は誰にでも他人より劣る点がある。隠しようのない事実だ。否定する必要なんてない。身体的だろうが能力的だろうが、それを糊塗して美化するなんて馬鹿げている。人間は誰にでも他人より優れた点があるからだ。

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