拝啓 手塚治虫様第21.6回

「GUNSLINGER GIRL」試論5 二人のエンリカ




 試論1はこれ。試論2はこれ。試論3はこれ。試論4はこれ

 試論4から続きとなれば、劇中の背景についての考察になるんだが、12巻はとても刺激的な内容だったので、またそれは次回以降に持ち越しとし、試論5では、リコとヘンリエッタの描写から浮かび上がってくるクローチェ兄弟の性分について考えてみたい。試論を進める上で、とりあえず今の感想を形にしておきたいと思う。
 さて、11巻から始まった過去編を読んでいて、時折奇妙な錯覚に襲われた。クローチェ兄弟(ジャンとジョゼ)の妹・エンリカは、これまでも度々回想などで登場していたが、兄を慕う少女然とした姿態が前面に描かれ続けることで、まるで義体の少女たちであるかのような気分になってしまうのである。過去編は義体を運用する社会福祉公社が本格的に動き始める前の物語である。勝手な錯覚に過ぎない。けれども、義体の少女たちの無邪気な「兄」を慕う振る舞いと、兄の帰りを待ちわび兄に甘えるエンリカの言動に、義体との違いを見出せなかった。

ジャンの希望
 物語の序盤から登場しながら、他の主要キャラクター(ヘンリエッタ、トリエラ、クラエス、アンジェリカ)に比べて内面を多く語られない義体がいる。ジャンのフラテッロのリコである。ジョゼのフラテッロであるヘンリエッタが寿命を意識させる場面が度々描かれる一方で、リコに関してはいつも冷静で淡々とした印象が根付いていた。ジャンの冷淡な性格が影響しているとみれば、ジョゼとヘンリエッタの関係同様に、義体たちは兄弟の妹・エンリカと同一化されて扱われているらしいことは今更言うまでもない(Wikipediaの「GUNSLINGER GIRL」では名前の由来が明記されている。以下引用「「エンリカ(Enrica)」と「ヘンリエッタ(Henrietta)」は同じ由来をもつ名前である」「イタリアでは本来「リコ」という名前は男性名である。ジャンの不自然な命名に驚かれることもあるが、「リコ」は男性名Enricoの短縮形であり、女性名にするとジャンの妹と同じ「エンリカ(Enrica)」になる」)。二人の違いは、兄弟がエンリカとどのように接してきたのかを、そのまま鏡のように反映させているように見える。
 リコは「家族に見捨てられた前身麻痺患者」、ヘンリエッタは「家族が皆殺しにされ自身も重傷で自殺を臨む患者」という義体に至る経緯からもそれがほの見える。エンリカをどう見ていたのかが、そこに現れているからだ。いや待て、ジャンは婚約者ソフィアの敵討ちのためにリコを自分に出来ないことをしてくれる代理ロボットとして利用しているだけだ、とも考えられるけれども、確かに序盤は殺しの道具として使う側面があったものの、物語が進むにつれて、ジャンはリコに対する情を感じ始めていた。それは、きっと妹に対する眼差しではないかと想像するのである。
 物語の折り返し点となった5巻のクリスティアーノとの戦い後の6巻で、ジャンはソフィアの墓前で復讐を誓っていた。この挿話の副題「Dum spiro, spero. 」は「生きている限り希望はある」と訳せるラテン語だというが、その冒頭でリコは自分の手足がない悪夢から目覚めている。夢に出てきたジャンは役立たずに用はないと去っていく。彼女がジャンの命令に従って敵を撃ち殺していく姿は、悪夢の描写のせいか、活動的な自分に喜んでいるような印象さえあるだろう。バランスを崩して海に落ちたリコを、だがジャンはどんな態度で応じただろうか。道具として選んだ義体だとしても、逃れることの出来ない妹の呪縛を名前に刻んだジャンは、リコを一人の人物として情愛を深めていっても不思議ではない。妹にはしてやれなかった様々なこと・ジョゼに押し付けた妹の存在も含めて、ジャンの中でリコの存在が大きくなっていくのである。
 もちろん、それはジョゼがヘンリエッタに向ける眼差しとは異なるし、妹に対する眼差しとも少し違っていく。復讐の代理者というか、昔の自分を重ねている節もあり、複雑なものとなっている。アンジェリカの死を知らされたリコがあまり悲しくないと言うと、ジャンはリコを抱き寄せ、それでこそ俺の復讐の道具と、感じ始めていた情愛を払拭しようとするかのような反応を示した。
 ジャンは祖父の葬式に接した時、隣で泣き咽ぶジョゼとは対照的に「不思議と涙は出なかった その時わかったんだ 自分は情が薄い人間だと」と回想する。だがジャンは、婚約者となるソフィアとの交際を通して、情を獲得していった。爆弾テロの報で現場に急行したジャンは、立ち尽くすジョゼとは対照的に、ソフィアと叫びながら彼女に近づこうとしていたのである。ジャンは失ってしまった過去の自分・祖父に倣って目指していた冷徹に職務を全うする国のために忠節を尽くす兵士としての役割をリコに求めていた。そこに、エンリカの亡霊が現れて(6巻)揺らぐものの、義体の死が具体的な話として浮上すると、再び道具としての義体を強く意識しなければならなくなる。何故なら、情を注げば、それだけ死が悲しいものとなってしまうことをソフィアの死を通して経験しているからだ。
 だから12巻の二人の関係で注目すべきは、リコが抱き枕をジャンから買って貰った、ということなのである。エンリカも抱き枕を抱えていた。勝手な推測だが、これもジャンが買い与えたものだろう。過去の自分を重ねつつも、妹に近い情愛も感じている、リコに対するジャンの想いは、かなり複雑である。ジョゼのヘンリエッタに対する態度のようなわかりやすさではない。(3巻では枕を抱いて眠るリコが描かれていることから、リコのその癖をジャンは知っていたのかもしれないと考えると、ジャンは意外とリコを大事に想っているってことだな。歩道の縁石を歩くリコを危ないから辞めろと制したこともあるし)。
 リコについて書いていたつもりが、ジャンについての話になったのは、結局のところ、ジャンとリコは互いを補い合っている存在だからだろう。ジャンの過去を補うリコは、まさしくジャンの少年時代そのものであり、今、リコがジャンを慕っているのも、ジャンが祖父に抱いていた尊敬に同等なものなのかもしれない。とすれば、仮にジャンが死んだとしても、リコは悲しまないのではないか、という妄想も膨らむ。
 ジャンがどういう思いで抱き枕を買ったのかはその後はっきりするかもしれないが、リコはそれを一人で使うのではなく、ヘンリエッタと一緒に寝るという使い方をした。「これからも一緒にいてくれるんでしょ?」という4巻の言葉が反芻されたわけだ。リコがねだって買ってもらったとも思えるが、一人は寂しいと語るリコは、「ヘンリエッタは大切な友だちなの どこにも行かないでね」と、二人が別離することが約束されたかのような・物語的に俗に言うフラグが立ったみたいで、とても居心地が悪い。「addio」(イタリア語で、死を連想する「別れ」「さよなら」あるいは永遠の別れの意。元はラテン語で、神の下に行く、というような意味があるようだ。前述のとおりラテン語から引用された副題があることからも、単なる別れの意味以上のものがあるのかもしれないが、それは考えすぎかな)という副題は、表面的にはジョゼとヘンリエッタの関係を指しているけれども、リコとヘンリエッタの関係にも触れている、というか、ヘンリエッタがこれまで関わってきたすべての物事との別離・言わばリセットされた状態に投薬で戻るのかもしれない。

ジョゼの絶望
 きっかけは11巻で描かれた鐘楼占拠事件における激しい戦闘だった。彼は、家族の仇であるジャコモを討たんとヘンリエッタの動揺にも構わず敵に向かって銃口を向ける。だが彼は爆風に巻き込まれて負傷し、ジャコモを逃したことで苛立ってしまう。もともと冷淡なジャンに対し、日頃ヘンリエッタには(同僚に義体とのコミュニケーションが辛いとぼやきながらも)優しい表情を見せることが多いだけに、ジョゼの態度はヘンリエッタだけでなく読者である私をも戸惑わせた。そして、6巻に続く「Fantasma」である。ジャンの前に現れた時のエンリカには説得力があった。家族で毎夏訪れるシチリアの別荘が舞台であり、エンリカの服を着たヘンリエッタを、ジャンは一瞬エンリカだと見間違えしまった。ジャンが妹の存在を意識する前振りが十分になされていたからこそ、ありえない登場の姿・亡霊と言うには、ほとんどジャンの夢ではないかと思えるほどはっきりとした姿と言葉に違和感があったものの、妹に対する贖罪の気持ちがあったことがうかがえた。ジョゼの場合はジャンに促された結果とはいえ、ヘンリエッタという義体を救済することで妹への贖罪にしようという意思が物語の序盤から描かれ続けた。
 兄弟の義体に対する態度は、これまで大雑把に分ければ、ジャンはリコを道具として、ジョゼは妹の代わりとして、という点が強調されることが多いし、そのように読める場面があるわけだけれども、11〜12巻を通して、どうもジョゼはジャン以上に義体を道具として扱っている節が強いと思えてきた。「Fantasma」のエンリカの発言が、極めて象徴的だ。 「兄様はあの子を贖罪の道具にして 公社で復讐の機会を得て 全部自分の都合じゃない」ジョゼを強く責め立てた末にエンリカはこう言い放った、「おねがい。ジャコモ=ダンテを殺して」
 耳を疑った、いや目を疑ったというべきか。幻であるはずの彼女が、復讐を煽る言葉を並べ立てる。過去編のエンリカが直前で描かれていただけに、その相違にショックを受けるのである。
 過去編のエンリカは、快活でハープの演奏が得意でサッカーも得意で成績も優秀で、二人の兄を誇りに思うと同時に危険な任務に着こうとする二人を守りたいと、将来は憲兵になりたいとまで言うほど兄想いだった。そして家族みんなが揃うことに意味を見出していた、家族中唯一の存在でもあった。
 だが、ジョゼの中のエンリカ像は違う。彼女のハープを奏でる姿が、ジョゼにとっての愛しい妹だった。ヘンリエッタのように強くて・あるいはエンリカがサッカーで活躍する姿は、彼の思い出の中では希薄なのである(9巻で子どもとサッカーをする場面があり、ジョゼは彼なりにエンリカとサッカーを嗜んでいたのかもしれない)。可憐でおとなしい女の子とは遠く、憲兵になりたい、と強くなることをエンリカは望んだ。彼女の亡霊は、ジョゼの印象とは違う、強くなろうとするエンリカそのものだったのである。ジョゼは彼女に圧倒され、どうすればいいんだと考え込んでしまった。
 けれども、彼女の発言は全て幻であることは言うまでもなく、何故自分が死んだのか・まして誰に殺されたのかも知らずに死んだ彼女が、ジャコモなんぞ知りえる機会なんてない。亡霊そのものがジョゼの本心であると考えるならば、ジャンの本心は6巻で吐露されていたことになる、すなわち、妹の世話をジョゼに押し付けてしまったことに対する悔い、とでも言おうか。
 11巻から感じるようになった、これまでの優しいジョゼというキャラクター像が過去編を絡めていくことでどんどん崩れていったのは、彼の描かれ方に大きなヒントがあった。1巻でヘンリエッタのために止めたと言っていた煙草に、ジョゼは12巻で火を付けたのである。
 ジャンは描かれる度に吸っている印象があるほどである。けれども、ジョゼが煙草を吸う場面はほとんどなかった。だから過去編の戦場で煙草を加える彼の姿は、現在の彼と同一キャラクターかと疑うほどの差異が感じられた。けれども、煙草を完全に辞めたわけではなかった。彼は、ヘンリエッタの前でほとんど吸わないようにしていたに過ぎない。3巻でジョゼの職場の室に入り込んだヘンリエッタは、そこで煙草のにおいを嗅ぎ、「そういえばジョゼさん 最近煙草吸ってないな」と振り返る。彼は煙草を携帯し・少なくとも職場の室内には持ち込んでいたわけで、いつでも以前の自分に・戦場で感じた昂揚感に戻れる準備だけは無意識裡にしていたのかもしれない。もちろんこれは私の妄想に過ぎないが。
 ただし、過去編でジョゼの生き方がはっきりと描かれているのを忘れてはならない。戦地で移動中に先頭車両が地雷に触れて大破、同時に攻撃を受けると、彼は全車両に突っ走れと命じて危機を脱した。この時、先頭車両の運転手が囮として死んでいたのだが、ジョゼはそれを致し方なし、という態度で上官に応じる。
「恐れながら… それが政治というものでしょう」
 ……くどくどと書いてきたが、ジョゼがジャンよりも義体を道具扱いしているという説明はこれ以上不要だろう。彼は政治のために、ヘンリエッタを女の子としてではなく、殺し・復讐の道具として伴に、戦場で自由に生きる道を選んだのである。
 さてしかし、たとえ記憶が消されても感覚までは消えずに残るはずだ。
 ヘンリエッタの義体としての衰えを印象付ける描写として甘さを感じない点があった。紅茶などを飲む際に異常なほど砂糖を入れる彼女がしばしば描かれていた。徐々に砂糖の量を増やしていくことで、彼女が死に近づいていることを、読者(や他の義体たち・特にクラエス)に知らせていた。
 クラエスがレモングラスで作ったお茶に多量の砂糖を器ごと注ぎ込むヘンリエッタが描かれる。砂糖何袋、と数えられるレベルを超え、もはや味の感覚がなくなっていると見てもいい。カップを持って震えだすヘンリエッタは、自分の身の上に起きようとしている近い将来を実感したのだろう。トリエラに付き添われて自室に戻るヘンリエッタの後姿を、クラエスは聖書の一節を引いて応えた。1巻でも一部引かれたその言葉は、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のパロディで印象を濁されたものの、12巻では、はっきりと聖書の言葉であることをクラエスに語らせた(余談だが、作品の序盤はイタリア映画からの引用が散見されるようだ。そうしたイタリア趣味は次第に聖書からの引用を増やしていく。作品の傾向を考える上で重要かもしれないが、いずれも浅学なので私にはよーわからん)。
 クラエスのセリフは旧約聖書の「コヘレトの言葉(伝道の書)」11章8節・9節である。調べた限りでは訳者によって少し違いがあるけれども、重要な一文が除かれていたことがわかる。劇中「忘るるなかれ」と「若者よ」の間、8節の終わりにある「何が来ようとすべて空しい」である。
 義体たちは今一瞬の生きる喜びをかみ締めるように日常を過ごしてきた。それらを空しいと言うには、クラエス(または作者)は忍びないと配慮したのだろうか。あるいは……
「生きているものは、少なくとも知っている 自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく 彼らの名は忘れられる。」(コヘレトの言葉9章5節より)(引用元 http://ikitamizu.com/baible/)
(2010.5.28)
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