「復讐こそわが命」


 二十年前、ある場所で爆発事故があった。在日米軍の射撃練習地に残されたあまたの地中に埋まった不発弾の処理がある業者によって大々的に行われたものの、あまりに杜撰な作業だった結果、わずかに露出した不発弾に触れた母子が吹っ飛び、母は死に、子は生き延びたけれども、父が愛人と日本を離れてしまえば、子の心情に悲痛を迫るのは必然といえよう。子、つまり彼にとって生きる支柱となるのが、それら諸々への復讐心だった・・・
 杜撰処理に携わった関係者への復讐譚が「不発弾」「二人目がいた」である。連載時、「不発弾」発表の時点で、彼に関する大まかな生い立ちは紹介されていて、「えらばれたマスク」で父と愛人(現在父の妻)が登場し骨肉の愛憎が描かれ、彼の復讐心の原点・母への愛情というものがはっきりする。また「ときには真珠のように」という名編に代表される恩師・本間丈太郎との挿話によって復讐の一方にある医学への復讐というものもあるが、これは後々語ろう。
 まさに「復讐こそわが命」と言える彼の人生にとって、実際に復讐を果たす「不発弾」の彼は、復讐すべき5人をしっかり捉えていると思われる。一人目である井立原は地雷に埋め尽された無人島に連れられて彼と母が味わった地獄を体験させられてしまい、地雷の爆破によって重傷を負うものの彼の手術によって救われるのだが、この時彼に手抜き作業を証言している。ここで「宅地課長の値上さん」なる人物が証言内に登場することから、手塚は「値上(ねがみ)」もその後登場させるつもりだったと思われる。「値上」は井立原の処理作業を回想する場面でも登場して、いかにも杜撰作業の大元といった感じである。手塚のことだから、「値上」の背後に政治家なんかを想定したかもしれない。しかし、5人いるという復讐相手がはっきりと示されない理由はなんだろうか。
 ご存知の通り、「ブラック・ジャック」は当初5回ほどの短期連載の予定が思わぬ人気を集めて長期連載となった作品だ。手塚自身、彼に関する素性はまったくの白紙だったから、彼がいかなる人物かは連載中に徐々に明らかにしていくという方法で、継ぎ足していく。その過程で生まれた彼の傷の原因に爆発事故と本間丈太郎が登場し、顔半分の皮膚の色違いも「友よいずこ」で理由がわかる。そうして連載が2年を超えて間もなく「不発弾」により彼の復讐劇をはじめよう、と手塚は考えたのか。
 この作品には復讐を扱った挿話が他にもある。たとえば「あつい夜」、復讐を遂げた男を彼が見殺しにしてしまう後味の悪い話だが、彼には復讐を邪魔する行為をしない節がある。彼自身の復讐に大きな疑問を抱く「二人目がいた」の前に「あつい夜」が発表される。これが「二人目がいた」への伏線?とはいささか考えすぎだけど。彼の復習が二人目で終わってしまった、いや、終わらせたといえるのか、手塚も結構いい加減だな、なんてまた言いたくなってしまうが、5人のうちの一人であろう「値上」はいったいどうしたのだろうか?
 とにかく、「不発弾」から一年9ヶ月経って「二人目がいた」が発表された。二人目・姥本はすでに末期ガンで彼は徒労感のまま去ろうとするが、姥本の娘の懇願と医者としての本能が彼に姥本の手術を行わせて治癒させるものの、姥本は術後一年で急死し、二人目への復讐は頓挫する。娘と彼のやりとりから、彼が言いようのない激情と苦悩にさいなんでいる様子がわかる。「残る三人にも復讐を?」と語りかける娘に「出ていきたまえ」と怒声を張り上げる、「あつい夜」で彼は他人の復讐を果たさせた、しかし「二人目がいた」の彼は苦しんでいる。彼が瀕死の姥本を手術した理由の根底には、かつてある男を見殺しにしたことに対する悔恨があるのだろうか、とまた深読みしてしまった。
 三人目以降の復讐を彼は何故やめたのか。そのヒントが「復讐こそわが命」である。テロ組織の失態により爆弾の犠牲となった四人家族の娘が生き残り、彼の手術によって回復するものの、テロに関わった男の名「ブラック・ジ・・・」を「ブラック・ジャック」だと思いこんで彼への復讐だけを生甲斐に必死にリハビリに励むという筋だ。当初娘は彼の殺害を幾度か試みるけれど失敗、結局自分の治療に協力してくれた彼を今更殺すことは出来ないと悩む。娘の言葉はそのまま彼の思いになりはしないか。彼がこれまで生き続けられてきたのは本間丈太郎の優れた外科治療だけではなく、事故関係者5人への復讐心がある。復讐心があったからこそ、彼は苦しいリハビリを堪え、医者としての技術も天才的となったのだから、運命としか言いようのない複雑さである。また、彼には西洋人に厳しい面がなんとなくある。巨額の手術料を請求する彼にも、ただ同然で仕事をしたことが何回かあってそれらはまず日本人が相手である。不発弾を撃ち込んだアメリカ・つまり西洋に対するなんらかの不信感が彼の心底に宿っているのかもしれない。だから、ときに億単位の手術料を請求し、まけることなんてほとんどせずにきっちり回収している。
 いずれにしても、彼は「復讐こそわが命」の時には「二人目がいた」の苦悩を乗り越えて精神的に相当成長したと断言してよいだろう。
 ところが、彼の精神的成長の礎は、実は中学生時代に築かれていた、という話がその後発表される。「笑い上戸」である。
 彼の復讐は自分と母をこのような目に遭わせた人間を殺す、というわかりやすいものだ。そのため彼は友を作らず孤独を選び、学生時代もペンを握らずダーツを握った。そんな彼の考えを軽くいなしてしまう人物がいた。「ゲラ」という笑い上戸の同級生である。「アハハ」という笑い声は学校中を明るくしてしまう豪放な勢いがあって、彼以外のみんながゲラと親しんだものだ。ところが彼は誰もが近づかない恐ろしさ冷たさをを持った少年でゲラの笑い声さえうっとうしいと感じる根暗道を邁進中だった。それでもゲラは笑う、彼に疎まれようとゲラは笑いつづけた、笑いによって何かをしようだなんていう気持ちはない、純粋な可笑しさ、ほんとに面白くって仕方がない、邪心なんてこれっぽっちもない笑いに、彼の心は微動する。氷よりも強固な冷たい彼の心に一条の陽光が刻まれた、彼はゲラの境遇を知り愕然としたのだ。借金を残して夜逃げした親・ひとりでいつ来るかもわからない親を待つゲラ・そして自殺したという噂のある親、「なぜだ?」と彼はゲラを問い詰める。
 「泣くなんて無駄じゃないか、怒ったって疲れるだけだよ、アハハ。それにね、一家心中ってあるじゃんか、でも親はぼくを生かしといてくれたよ、それだけでも感謝しなくちゃ」
 形は違えど自分と似たような境遇にありながらも笑って楽しく生きようとしているゲラの姿勢は彼をひどく動揺させると同時に、彼の心にゲラのような「笑って楽しく生きよう」という暗に対する明の部分が芽生えたのだろう。彼が復讐を中絶した真の理由はゲラの笑い声にあった。死ぬ間際も笑いつづけたゲラの生き方は復讐よりもよほど強靭な精神なのだ。

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